
ビートルズ・ブートレッグ55年目の真実
Section 7 (セクション7) DOUBLE CROSS(裏切り)

「BEST OF BOB'S BOOTLEGS」にまつわる話というのは、最初に作られた1969年の「グレート・ホワイト・ワンダー(Great White Wonder)」からまもなく、次のブートレッグである「Stealin'」と「Jon Birch Society Blues」に関する話である。
← Bob Dylan / BEST OF BOB'S BOOTLEGS
ディスク・レーベルにはDOUBLE CROSS(裏切り)という意味深な言葉がプリントされている。マトリックスには「95」の数字が認められる。これはナッシュビル・マトリックス(Nashville Matrix)と呼ばれ、レッド・スタンプ「KUM BACK」にも認められる。
当時まだ彼らは「TMOQ」を名乗ってはいなかった。彼らというのは後に「Trade Mark Of Quality(TMOQ)」を名乗ることになるK氏とD氏のことだ、彼らは西海岸を活動拠点にしていた(おそらくは)最も有名なブートレッガーである。基本的にTMOQはK氏とD氏の二人による仕事を中心として成り立っていた。
彼らは最初のブートレッグGreat White Wonder制作後、新たなマテリアルを得て次の2作品に着手した。しかしその時の製作に携わったのは彼ら2人に加え、H氏とT氏のもう2人、計4人による仕事であったことがわかっている。K氏は2010年の一時期、ブログを書いていた。その回想録とも思えるようなブログには1969年当時のその時の事が綴られている
その内容は次のようなものだった。「K氏はT氏よりボブ・ディランの新しいマテリアルである録音テープを得た。そして、D氏、H氏とともに4人で新しいブートレッグ『Stealin'』と『John Birch Society Blues』を制作する作業に取り掛かった。その制作過程で、H氏はK氏に『Stealin'』に使用するレーベルを見せた。そこにはHar-kubとプリントされており、H氏とK氏そしてD氏の名前の一部をとって並べたのは明らかだった。これを知ったT氏は当然快くは思わなかった。さらにH氏は他の3人にだまって余分に『Stealin'』をプレスし自分で安売りしていたことが発覚した。さすがにこの行為にはD氏も黙っておられず3人はH氏と手を切り、『John Birch Society Blues』はH氏以外の3人で製作を遂行することになった・・・」。
以上のことがK氏のブログに綴られたことなのだが、Stealin'がリリースされた時点でJohn Birch Society Blusのことを知っているのは4人しかいない。となると「And The Never Released John Birch Society Blues」とカバーに書いてリリースできるのはH氏しかいないということになる。そしてそれはまさに他の3人に対するDOUBLE CROSS(裏切り)であったのだ。

← Bob Dylan / Stealin’ (1969年)
最初のブートレッグGreat White Wonder制作後1969年の秋から終わりごろまでにはリリースされていたと言われている。
ディスク・レーベルには「Har- Kub Records」とプリントされている。
K氏は「BEST OF BOB'S BOOTLEGS」はH氏によるものだと自身のブログ等では述べていないが、遠回しに次のように書いている。「Stealin'とJohn Birch後、東海岸でもブートレッグの制作、販売は行われるようになった」と、そして2021年に発売された「A Pig's Tale」の中でも「K氏はDOUBLE CROSSの存在を知ったとき、さほど驚きはしなかったと語った」とある。少なくとも「BEST OF BOB'S BOOTLEGS」の製作にはH氏が深くかかわっていたことは間違いないだろう。またK氏はブログの中でこんなことも書いている。「東海岸のブートレッグの制作、販売にはカナダのディーラーが絡んでいる」と、背景には別のブートレッガーがいることを示唆させながら「KUM BACKのことを知って自分達の存在が唯一ではないと感じた」と書いており、この時期「カナダのある人物からStealin'とJohn Birchのスタンパーを買い取りたいという依頼があった」ことも明らかにしている。
さて「BEST OF BOB'S BOOTLEGS」を制作したのはH氏本人であったのか、さらにそれがレッド・スタンプ「KUM BACK」と関係あるとは断言できないが、少なくとも同一のプレス工場を使用していたことは間違いない。H氏は「BEST OF BOB'S BOOTLEGS」だけではなくレッド・スタンプ「KUM BACK」の制作にも関与したのだろうか?それともカナダのディーラーが制作に関与したのだろうか?
また東海岸で製作販売関係しているカナダのディーラーの話はジョン・レノンがトロントでテープを第三者に供与した話と関係しているのだろうか?
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