
ビートルズ・ブートレッグ55年目の真実
デッカ・テープス 総論
(Outline of "Decca Tapes")
セクション5 誤算だったJoe Pope氏の思惑
(Section 5 Joe Pope's Miscalculation)
1979年8月、SFF ニューズ・レターNo.34において、最後の1曲である「Take Good Care Of My Baby」をシングル・リリースするということと、その「Take Good Care Of My Baby」を含む全15曲を収録したLPの発売についての告知があったものの、その後Joe Pope氏から会員へ告知は無く、年末に差し掛かろうとしていた時、一変する事態が起こった。
Joe Pope氏によるLPが陽の目を見る前に、Circuit Recordsなるブートレッグ・レーベルによって「Take Care Of My Baby」を含む全15曲入りのLPが発売されたのである。Joe Pope氏にとってはまさに青天の霹靂であったかもしれない。
彼は動揺を隠せなかった・・・・
なぜか、1979年8月以降滞っていたニューズ・レターの送付は、1980年2月まで延期になった。
1980年に入り世間は大きな事件に沸いていた。ポール・マッカートニーが日本に入国する際、大麻所持で逮捕されたのだった。本来1979年中に発行予定であったニューズ・レターNo.35はNo.36とのFlexi盤(ソノシート)と合併され翌年1980年の2月頃に発送されたのである。やはりニューズ・レターではポールの事件について紙面を割いているが、そこにはデッカ・オーディション・テープの続報とともに、遂に「The Deccagones」という全15曲を収録したLPが発売されリストされたのである。しかしそれは、非常に意味深なPope氏のコメントとともに掲載されていたのである。
↓写真 1980年2月、Strawberry Fields Forever(SFF)No.35は表紙がカラーとなり、No.36のFlexi盤と共に送付された。「The Deccagone LP」は$6.00で発売された。

"The Deccagone LP. Unfortunately, due to circumstances beyond our control which we will go into at greater length in the next issue, this isn't the album it could have been or will be. We intended to take our time and do a job worthy of the Beatles' talent for this LP (and the final single). But the last track leaked out and we are forced, for now, to put out the Deccagones in a plain white cover."
「デッカゴンLPは残念ながらやむを得ない事情で本来のアルバムにならなかった、いやならないだろう、それは次の号でより詳しく説明するだろうが・・・
私たちは時間をかけ、この LP と最後のシングルのために ビートルズの才能にふさわしい仕事をするつもりだった。しかし、最後のトラックが流出したため、今のところ、何も印刷されていないホワイト・カバーで Deccagones を出すよりない。」
さらに、彼のコメントは保証できる高いクオリティーを持った音質であることを付け加えながらも、次のように続けて書いている。
"All fifteen tracks are here including 「Take Good Care of My Baby」 We didn't have time to design it the way we would have liked to but we did make sure that the pressing was of the finest possible quality. Unlike the other boots you see around, this was pressed from the master tape and sounds just like it did in 1962…
At a later date we intend to press a collectors' edition and complete the Deccagone 45 series. More on how we were ripped off next issue."
「全15曲の中に"Take Good Care of My Baby"が含まれています。私たちが望んでいたようにデザインする時間はありませんでしたが、プレスが可能な限り最高の品質であることを確認しました。他のブートレッグとは異なり、これはマスター テープからプレスされたもので、1962 年と同じように聞こえます・・(略)
後日、コレクターズ・エディションをプレスしてDeccagone45シリーズを完成させる予定です。 次の号で、私たちがどのようにだまし取られたかについて詳しく説明します。」
この意味ありげなコメントについては後ほど触れるが、その後1980年5月に発送されたSFFNo.37ニューズ・レターには、特に目新しい説明やコメントはなく、この件にも触れていない。「前号でお知らせした"The Deccagone LP"はまだ購入可能である」とだけ書かれ、No.38以降にも私が確認した範囲ではニューズ・レター内でこの問題に言及しているコメントは見つからなかった。またDeccagoneのシングル・シリーズとホワイト・ジャケットに入ったLPは、1980年秋ごろに発送されたNo.40までカタログが同封され、販売されていたが、1981年以降は販売されていない。
さて、ニューズレターNO.35/36合併号に記されたJoe Pope氏の「流出した(leak out)」や「だまし取られた(ripped off)」といった表現は何を意味するのか?そして、なぜ彼のLPはホワイト・カバーで出すことを余儀なくされたのだろうか?

セクション6 Circuit盤「Decca Tapes」の登場と「Untold story」
(Section 6 「Decca Tapes」by Circuit Records and 「Untold story」)
前述の通り、1979年末、ファンは新しい白黒写真のピクチャー・ディスクを目にすることになった。そこにはまだ誰もが聞いたことのなかった「Take Good Care Of My Baby」が収録されていた。外側のビニールには「The Decca Tapes」のステッカーが貼られていたが、どちらかというと地味な白黒写真のピクチャー・ディスクで曲目はリードに書かれていた。しかし、このピクチャー・ディスクを取り扱っているショップは少なく、当初は情報がほとんどなかった。

← 写真
左:Circuit Recordsより1979年末に発売された「The Decca Tapes」
右:Circuit Records盤の直後に発売されたマイアミ・バージョンと呼ばれるコピー盤
↓写真 1979年12月15日付Journal Herald紙(ペンシルバニア)、デッカ・オーディション・テープが白黒のピクチャー・レコードで発売されたことを伝えている

一方で、ほぼ時期を同じくして非常に見栄えの良いカラフルな写真を使用した、ピクチャー・ディスクも登場した。後にマイアミ・バージョンと呼ばれるデッカ・テープスである。
マイアミ・バージョンは非常に広く多く出回わった、日本においては一般的な輸入レコードショップでも取り扱われるほどだった。
しかし、実際にはマイアミ・バージョンはCircuit盤「The Decca Tapes」からのコピーだった。Circuit盤のピクチャー・ディスクはあまり取り扱われていなかったうえに、割高だった。そのためこの時点ではさほど注目されなかったのであるが、1980年の始めから、新しい斬新なデザインのカバーに入ったレギュラー・ブラックの「The Decca Tapes」が安価で出回るようになり、これは多数、急速に広く出回っていった。そしてそのバック・カバーにはUntold storyという興味深い物語が書かれていたのである。

←写真
1980年初頭に発売された「The Decca Tapes」の通常盤。(マトリックスは白黒ピクチャー盤と同一)、バック・カバーにはGrid Leekなる人物による「The Untold Story Of The Decca Tapes」と題された物語が綴られていた。(写真↓)そして文章の最後にはフィクションであることを告げている。

この物語は、最後に「フィクションである」と付け加えられており、真実ではないことがわかってはいたが、物語の中で出てくる細かいデータが正確で内容がリアルであったためフィクションであるとしていることに疑いをもつファンもいた。
さらに、この物語の中では、明らかにJoe Pope氏が制作したDeccagoneのシングル・シリーズを意識した架空のリリースについて綴られており、時折「Joe Pope氏へあてた皮肉ではないか」と思ってしまう表現も含まれていた。
Circuit盤を作ったブートレッガーはなぜこのような物語を書いたのか?何の目的があったのだろうか?1985年に発売された「ビートルズ海賊盤事典」の中でもこのストーリーに触れ、「全くのフィクションとは思えない」と書いている。
Circuit盤「The Decca Tapes」は大当たりとなった。すぐにそこからは日本製を含むいくつものコピー盤が出回った。いつの間にか Circuit盤「The Decca Tapes」のフロント・カバーはいわゆる「デッカ・テープス」の代名詞となっていった。後に、正規盤としてリリースされたが(著作権上)グレーなレコードやCDが多数出回ったが、Circuit盤「The Decca Tapes」のフロント・カバーを模倣したものが多かった。
はたして、このCircuit盤を制作したブートレッガーは誰なのか?そして、Joe Pope氏よりも先にLPをどうやって制作することができたのであろうか?