ビートルズ・ブートレッグ55年目の真実

                                                                 デッカ・テープス 総論

(Outline of "Decca Tapes") 

                 セクション 11     Mr. Audifönと呼ばれた男

               Section 11     The Man who was called Mr. Audifön


  私はこのウェブ・サイトの中で「Wizardoグループ」という言葉を頻繁に使う。この言葉の意味を改めて説明すると、時にブートレッガーには「パートナー」と呼ばれる共同作業者がいる。それは、WizardoのみならずTMOQでもTAKRLでもそうである。

 その「パートナー」はいつも同じではなく、入れ替わる場合もあるし、役割が替わる場合もある。 例えばWizardoとVickyのように多数のタイトルで、互いに製作を手伝ったりすることは頻繁にあった。また、誰かがカバー制作を担当し、誰かが録音、そしてまた別にプレスを担当する者がいるといったケースもあっただろう。複数の人物が出入りする大きなグループの中での作業のようなもので、それら役割は時期やタイトルによって異なり、いつも同じではなかったのである。

 2020年のインタビューで、「なぜ、Let It Be – 315は複数種類のスリック・カバー、複数の仕様が存在するのか?」といった意味の質問に、Wizardoは「複数の人物が受注をとり、それぞれが皆、同一のスタンパーにアクセスできた」と説明し、結果そのようになってしまったと答えている。そして誰がどれだけの受注を受け、どれだけプレスし、どのようなカバーにして製作したか彼自身も把握しきれなかったという。


←写真 「Let It Be 315」(WRMB315)

同じスタンパーでいくつもの仕様が確認されている。

しかし、こういったケースはWizardoのブートレッグにおいて決して珍しくは無い。

 WizardoがWRMBを始めてから行ったプレスの中には、誰とは断定できないプレスも多数ある。よって、大きなひとくくりとしてWizardoグループによる製作と呼ぶことにしているわけである。

 

 さて、セクション8の最後に「P氏」なる人物について触れたが、彼は1970年代後半から1980年代のブートレッグを多数製作してきた、西海岸のブートレッグ製作、あるいは特にビートルズ関係のブートレッグに関しては、キー・ポイントとなる人物である。

しかし、現在に至るまでその人物のことはほとんど紹介されたことはない。

当然ながら、2020年のWizardoのインタビュー、そしてWizardoの本(2024年)にも彼の記述は無い。

 ただ、ほんのわずかながら、1996年4月のOC weeklyに掲載されたWizardoとVickyのインタビュー記事→参照の中に、その人物に関する記述はある。記事の中で彼の名は一度だけ出てくる。J氏というWRMBを創設した頃のWizardoの活動パートナーの後、P氏がWizardoの新たなパートナーとなっていたという内容で紹介されている。

 さらにもうひとつ、P氏の活動に最も迫った記事はDoulg SulpyによるBeatlesコレクター向けの雑誌「the 910」の1991年(Oct/Nov)Vol.1において「Tobe Milo Archives」とタイトルされたTobe Miloの特集記事である。


←写真

「the 910」1991年(Oct/Nov)Vol.1

Tobe Miloのブートレッグが特集された「Tobe Milo Archives」が掲載された。


 その記事の詳細は後のセクションで触れるが、この中で1965年の「Sam Houston」ライブ音源を巡り、Tobe MiloのMilo氏がある人物と取引を行い、その時に起きたちょっとしたトラブルの様子が綴られている。その人物は記事中にMr.Audifonという名で出てくるのだが、実はそのMr.Audifonが「P氏」なのである。

 この記事の中で、Mr. Audifonはその名の通り1970年代の後半からAudifonレーベルを制作し、POD、あるいはRuthless &Rhymesレーベルを使用したと紹介されている。

 P氏は「Live From The Sam Houston Colosseum」の他に、「Black Album」などを手掛け、おそらくは「Youngblood」「Watching Rainbow」「NO.3 Abbey road NW8」などを製作してきた。当然「The Decca Tapes」にも関与したことは間違いないだろう。そして、その後の「Broadcasts」や「Rough Notes」も彼によるものだったと思われる。

わかりやすいいい例を挙げるとしよう。

 TMOQコレクションという13枚組BOXセットと8枚組のFrom The VaultというBOXセットがある。(どちらにもThe Decca Tapesが入っているが) これらのセットには、確かにその一部はもとのTMOQによるオリジナル・プレートを使用したタイトルを含んでいるものの、それらプレートは1970年代後半以降Wizardoグループがアクセスできるようになった。これらは「TMOQ」によるコレクションではなく「WizardoとP氏」のコレクション、あるいは「P氏」コレクションであったのだ。

 OC weeklyの中では「WizardoはP氏とパートナーを組み、奇抜なジャケットのブートレッグを制作した」との記述もあるが、これは「File Under」のことである。

 OC weeklyに掲載された写真には数種類のブートレッグが写っている。(顔を隠しているWizardoとVickyの前に様々なブートレッグが置かれている)そしてそこには、File Underが写っている。    


←写真

左側のモノクロ写真は1996年4月のOC weekly掲載時のもの。

右側カラー写真は2020年にピンク・フロイドのブートレッグなどが掲載されているウェブ・サイトで初公開され、2024年の「Wizardo: Stories Of A Bootlegger」にも掲載された。

 右側カラー写真のほうにはFile UnderとForetasteに加え、Get Back Journalsが写っている。

 ところが、この写真に関し、Wizardoは2020年のインタビューで「Nancyがカバーになっているブートレッグ(Rolling Stones / Happy Birthday Mick!)以外は私のものではない」と答え、「そこに置かれたブートレッグは用意されたものだった」と語っている。

 2020年には別バージョンの写真が公開された。その新しい写真にはFile UnderとForetasteに加え、Get Back Journalも写っている。そこにそれらのブートレッグを用意した人物は明らかで、Wizardoとも、Vickyとも近しい、その記事を書いたJ・W氏だった。(参照) つまり、J・W氏の認識としてはこれらタイトルは「Wizardoのブートレッグ」なのである。果たしてJ・W氏の認識は間違っていたのだろうか?

 この件について、ここでは、これ以上あえて深くは言及しないが、要は、彼(Wizardo)はそういうスタンスなのである。つまり「P氏が関与したもの」は自分のものではないという認識(あるいはそういうことにするという認識)なのであろう。よって、2024年の彼の本「Wizardo: Stories Of A Bootlegger」のDiccographyを含むすべての文中にはAudifon、POD、あるいはRuthless &Rhymes、そしてもちろん「Decca Tapes」に関しても触れられていないのである。

 このセクションの冒頭で「Wizardoグループ」について書いたが、それは様々な人物達がかかわっていた、明確ではない集合体とも言える。The Decca TapesはWizardoが製作したのか、それともMr. Audifonなのか、2人の共同作業なのか、さらに他の人物もいたのか、それはこの「ストーリー」の先を読んでいただき、判断は皆さんにお任せしたい。



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