ビートルズ・ブートレッグ55年目の真実

                                                                  デッカ・テープス 総論

(Outline of "Decca Tapes")

                                           セクション 12  『Rock'N'Road NO.3 Abbey Road NW8

            Section 12  『Rock'N'Road』and NO.3 Abbey Road NW8


   Joe Pope氏がDeccagoneの最終シングル「 Take Good Care Of My Baby 」をリリースする計画と同時進行で15曲すべてを収録したLPレコード「The Deccagones」を製作中であることをニューズ・レターで告知をした1979年夏に不可思議な現象が起こっていた。

  まず、Pope氏は1979年夏のSFFニューズ・レターNo.34において、デッカ・オーディション・テープとは関係のない新しいブートレッグ「Rock'N'Road」とソロ・ブートレッグを2枚、そして1980年のニューズ・レターNo.35では新たなソロ・ブートレッグを追加2枚発売したのだ。

↑写真 上段はSFFNo.34、Rock'N'Road及びPaul とJohn のソロ・ブートレッグが発売となった。 下段は1980年2月送付のSFFNo.35(参照→誤算だったJoe Pope氏の思惑)、DeccagoneのLP及び、GeorgeとRingo のソロ・ブートレッグも発売されている。

それらタイトルは以下の通り。

Rock'N'Road (→RN1

Paul McCartney / Sunshine Superman ・The Melvin Bragg Interview (→SOLO, RN6

John Lennon 「Doctor Winston O'Boogie / On The Tomorrow Show」(→SOLO, RN7

George Harrison「The Tanned Equine Interview」(→SOLO, RN8

Ringo Starr 「Scouse The Mouse」(→SOLO, RN9

これらはカバー印刷もスリックも無いホワイト、あるいは無地のジャケットに入り、すべて濃いブルーのカラー盤であることが特徴である。

←写真 Rock'N'Road (→RN1

1979年夏、Joe Pope 氏は「Abbey Road」の未発表テイクやポールとドノバンのセッションを含むマスター・テープを入手していたため、そこから「Rock'n'Road」とPaul McCartneyのソロ・ブートレッグを製作しSFFニューズレターNo.34に同梱させたカタログにリストし通信販売を始めたのである。

 ところが、発送が遅れ会員の手元に届いたのは数か月後だったのである。この件についてSFF側は「運送上のトラブル」と釈明した。最初にオーダーした会員へ発送した「Rock'n'Road」には遅延のお詫びが書かれた手紙にPope氏直筆のサインが添えられ同梱された。

↓写真 他ジョンのソロ・ブートレッグ、そしてNo.35ではジョージとリンゴのソロ・ブートレッグも販売した。

→SOLO, RN6(→SOLO, RN7-9)

 事前に何の告知も無く突然これだけのLPブートレッグが発売されたことも意外なのだが、さらに不思議なことに、ほぼ同時期(SFFニューズ・レターNo.34が1979年8月発行と思われるので、厳密にはその1~2か月前)にHörweite Stereophonieというレーベルから「NO.3 Abbey Road NW8」(Abr01)というブートレッグが発売されたのである。このレーベルはAudifön Recordsとも呼ばれ、セクション11で触れた(参照→セクション 11 Mr. Audifönと呼ばれた男  P氏によって製作されたものだ。

 「NO.3 Abbey Road NW8」には「Rock'N'Road」に収録されたAbbey Road」の未発表テイクをSideAに、そしてポールのソロ・ブートレッグ(RN6)に収録された、1969年リリースのメリー・ホプキンのアルバム「Post Card」レコーディングの最中行われた ポールとドノバンの、いわゆるPost Card Sessionと呼ばれる録音をSideBに収録してあり、それらはJoe Pope氏側のブートレッグと同じマスター・テープから製作されているのである。

 セクション5と6 でも触れたようにこの時期、Joe Pope 氏はLP「The Deccagones」の発売を計画していた、一方でWizardoグループは水面下で独自に「The Decca Audition Tape」の製作を進行させていたのである。その両者が同じマスター・テープから同時期にブートレッグをプレスしたのは、いったいどういういきさつがあったのであろうか?


←写真

1979年7月ごろに発売された「NO.3 Abbey Road NW8」(Abr01)、Hörweite Stereophonieというレーベルだが、それは Audifön recordsのことである。カバーは1976年出版のリンダ・マッカートニーによる「LINDA’S PICTURES」から複写された。

両面カラー・カバーで、内容も高音質であったため当初から人気はあった。しかし、ファースト・プレスは少なかったため認知にされるまで時間がかかった。

 写真下は1979年8月頃発行されたのBeatlefanというBeatlesのFanzineである。この雑誌に掲載された広告に「NO.3 Abbey Road NW8」はリストされていた。

↓写真 Beatlefan Vol.1 No.5 文面より1979年8~9月発行であったことがわかる。その中には通信販売専門のレコード・ショップ(参照 →Review 13)の広告があり、「No.3 Abbey Road NW8」がリストされている。

 この年はPope氏に取って受難の年であったようだ、1979年末「The Decca Tapes」LP発売がCircuit Recordsによって先に発売されてしまうだけではなく、夏にオーダーを受け付けた「Rock'N'Road」は発送の問題が生じたのである。

 発送は数か月も遅れ、オーダーしたファンに届いた。SFF側は発送上のトラブルと釈明し、初回オーダーの発送分にはJoe Pope 氏のサインが入ったお詫びの手紙が同梱された。しかしこの時点で、前述のBeatlefan は次の号である、Vol.1 No.6(1979年9月21日発行)において、既に「NO.3 Abbey Road NW8」のレコード・レビューが掲載され、高評価を得ていたのである。

  当時の状況から考えると明らかに「NO.3 Abbey Road NW8」の人気のほうが上であろう。また数か月遅れて「Rock'N'Road」を手にしたファンは、素直に喜べなかったかもしれない。遅延はトラブルであったとしても、Pope氏の「Rock'N'Road」の存在は「NO.3 Abbey Road NW8」の登場により、かき消されてしまった感が否めない。


←写真 

Beatlefan Vol.1 No.6 

1979年の9月21日の日付がある。そしてレコード・レビューでは「No.3 Abbey Road NW8」が高評価を受けた。

 後の1994年、これらマスター音源はVigotoneのCDにも収録されたが、最近では、MisterclaudelのCDや「The Complete Joe Pope Tapes」というタイトルのCDにも収録された。これらCDと比較すると、「NO.3 Abbey Road NW8」の音よりも「Rock'N'Road」の音は、ややピッチが速くなってしまったものの、本来のマスター・テープ原音に忠実であることがわかる。

 一方、「NO.3 Abbey Road NW8」の音質は本来モノラルであるこのマスター・テープにリバーブ処理などを施し、疑似ステレオ化した音であることがわかる。また決して「NO.3 Abbey Road NW8」の音は劣っておらず、加工はされているものの「Rock'N'Road」や上記CDと同じマスターから作られたとしか思えない。

 ただ、「NO.3 Abbey Road NW8」の方は、曲順が故意に入れ替えられ編集されており、「You Never Give Me Your Money」が終わった後に聞こえるギター音が、その次に収録されている「Oh!Darling」のイントロとつながってしまっているなどのミスとも思える箇所がある。



←写真

上段は1994年発売のVigotoneのCD

下段はMisterclaudelのCDと「The Complete Joe Pope Tapes」

 Joe Pope氏はデッカ・オーディションのマスター・テープをイギリス人ジャーナリストから手に入れたと言われている。そしてその時、もう一つのマスター・テープが付属していたという。それが「Rock'N'Road」と「Paul McCartney / Sunshine Superman」のもとになったマスター・テープである。

   さて、「NO.3 Abbey Road NW8」を製作したMr. AudifonことP氏はどうやってマスター・テープを手に入れたのだろうか? いくつかの推測は成り立つが、単純にPope氏とP氏(あるいはWizardoグループ)の間に取引があったと考えるのが最も可能性が高いのではなかろうか? ・・・となると彼らはこの時期、接触していた可能性があるのである。

 仮に彼らの間で取引が行われたとしたら、それは円満に行われたのであろうか?そして両者の「デッカ・テープス」LP発売に影響があったのであろうか?

セクション5に書いた、Pope氏の流出したleak out)」や「だまし取られた(ripped off)」といった表現との関わり合いがあるのか気になるところである。

 というのも、ちょうど1年前の1978年、P氏は全く別のブートレッガーと、ちょっとしたトラブルを起こしていたのである。それはBeatlesのある未発表ライブ音源を巡ってのことだった。

 そしてそのブートレッガーとは言わずと知れた、あのTobe MiloのMilo氏だったのである。

 


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