
ビートルズ・ブートレッグ55年目の真実
Section 15 (セクション15) O.P.D. の制作時期
セクション12の最後に紹介したDELTA RECORDSのタイトルにおける、マトリックスにあるSJWという文字から、いもづる式に様々なことが判明した。
まずSJW-で表されるマトリクスはWakefield Manufacturingという会社が製造したレコードである。それはSidney J. Wakefield という方が創設した会社でアリゾナ州フェニックスにプレスやマスタリングを行う工場があったとのことだ。つまりSJWはその創設者の名前からとった頭文字なのである。はっきりとはしないが1960年代初めころから1980年代終わりまでこの工場は運営されていた。そしてマトリクスのSJWはおもに1960年代ははじめから1968年頃まで使われたらしい。およそ1968年から1979年頃まではSJW-に替わって下写真のようなTulip(チューリップ)記号が刻印された。

←写真 左はセクション12で取り上げた、DELTA RECORDSのタイトルのマトリックスに認められたSJW-で始まる記号。右はSJWに代わり使用されるようになったTulip(チューリップ)マーク
この記号は様々な呼び名があるようだが、Tulip(チューリップ)と呼ばれることが多いようで、そのほか、"Diamond Ring"(ダイヤモンド・リング) とか "Leaf"(リーフ)とも呼ばれるらしい、またこの記号を文章で書き表すときに、「Discogs」のウェブ・サイトでは [tulip] あるいは(vv)という記号を使っていることも分かった。
DELTA RECORDSはイリノイ州シカゴにあるレコード会社であり、ミネソタ州ミネアポリスにも支社がある。利用していたプレス工場は一か所だけではなかったはずで、アリゾナ州フェニックスのWakefield Manufacturing以外にも利用していたプレス工場があったはずだ。TulipマークのあるものはWakefield Manufacturingでプレスされたことは間違いないがBWのサインのものや、そのほかのものはまた別のシカゴかその周辺地域にある工場でプレスされたに違いない。
また、逆にWakefield Manufacturingでプレスされたレコードを調べていくと、やはりシカゴのレーベルあるいはミネアポリスのレーベルが多いがプレス工場があるアリゾナ州のレーベルもあった。
ブルースタンプ「KUM BACK」の具体的なプレス工場までは特定できなかったが、少なくともシカゴか、その周辺地域に拠点を置くブートレッガーであっただろうと推測する、そしてBWサインの入った「Great White Wonder」も同一ブートレッガーであると確定はできないが、その可能性は高く、少なくとも同様の地域で製造されたであろう。
では、Tulipマーク があるマトリックスの「O.P.D.」はいつ頃どこで作られたのか?
私はWakefield Manufacturingが制作した1969年から1970年のレコードを調べることによってある程度、その特定ができるのではないかと考えた。

ここで今一度、O.P.D.の特徴を示しておく。ディスク・レーベルの円形ステップは直径33mm。マトリックスは下の通り

「O.P.D.」の制作時期を推定する上で、参考資料として5つのレコードを紹介するが、私はこの5つを選ぶまでずいぶん様々なレコードを検証し、これらが特に参考資料となる5枚と位置付けた。これらのマトリックスの写真と上記「O.P.D.」のマトリックスとを比較し見ていただきたい。
1. LANGER SISTERS / ON THE AIR(Studio 5 Records – S5-9011)Matrix:QW S5 9011 S-1/2 [tulip]12046

←LANGER SISTERS は1969年にミネソタ でデビューしたカントリー・グループ
この「On The Air」は彼女たちのファースト・アルバム
1969年11月14日付けのミネソタ州の地方新聞 記事には彼女たちがファースト・アルバムをリリースした記事が掲載された
2. Joe Tomaszewski And The Northeasterners / The Many Sounds Of Joe Tomaszewski And The Northeasterners(Studio 5 Records – S5-9021) Matrix:QW S5-9021-A/B [tulip] 12633

←やはり1と同じStudio 5 RecordingsによるJoe Tomaszewskiというアーティストのもの。1と3とともに「O.P.D.」のマトリックスと見比べると非常に似た筆跡である。
3. Houle Brothers / Sometimes I Feel Like Leaving Town / My Home In North Dakota
(7inch Single, Studio 5 Records – LNP 0001/2)Matrix:QW LNP-0001/ 2 RE1 [tulip]12890

←こちらは「Houle Brothers」というグループのシングル盤。やはりStudio 5 Recordigsによるもの。マトリックスにある「L」と「P」は「O.P.D.」のマトリックスとよく似ている
4. Deep Water Reunion / DWR (Jerral Records – S80-1009S)
Matrix:S80-1009S A/B [tulip]12703 GM East Dat Milan

←Deep Water Reunionはアーカンソー出身のフォーク・ロック・グループ
このアルバム「DWR」のジャケット写真はレコーディング記録を撮影したものだ。右上はその拡大写真で、1969年11月25日がレコーディング日であったことがわかる。
5. アーティスト名無し/ 1970 Hawaiian Hullabaloo (Surge – 2H-80) Matrix:U-41959/60 [tulip] 12953 URM

←ハワイアンのレコード 詳細は情報は無い。しかし、会社の所在がイリノイ州となっており、今回取り上げた5枚の中でTulipマークの後の数字が「12953」と「O.P.D.」に最も近い。そしてカバーとレーベルには1970年とプリントされている。
1~3までのレコードはすべてStudio 5 Recordsというレコード会社が制作したものである。
Studio 5 Recordsは60~70年代にかけミネソタ州ミネアポリスに本拠地を構え地元の音楽に根付いたアーティストのレコードを制作してきた。私はこのStudio 5 Recordsがリリースした69年~70年のレコードを調べたがその特徴がほぼ「O.P.D.」と一致する。まず、マトリクスの冒頭にQWの記号があるものが多いこと、そしてほとんどのレコードにtulipマークが刻印され5桁の番号が書かれている。そしてLPに関して言えば、私が確認したものはすべてセンターホールを中心とし33mm直径の円形ステップタイプのレーベルであった。
特にこれらすべての記号「QW」、tulipマークの後の「2」、Joe Tomaszewski And The Northeasterners(S5-9021)の「A」Houle Brothersのシングル(LNP 0001/2)の「LNP」の筆跡は「O.P.D.」のそれと酷似している。
しかし問題はそれぞれの制作時期だった。残念ながら2と3のタイトルに関しては制作時期に関する確かな情報が無かった。ただ1のLANGER SISTERSに関しては手がかりとなるものがあった。
LANGER SISTERS は1969年にミネソタ でデビューしたカントリー・グループで「ON THE AIR」は彼女たちのファースト・アルバムである。ミネソタ州の地方新聞であるSt Cloud Timesの1969年11月14日付けの記事に彼女たちがファースト・アルバムをリリースした記事が掲載されている。この事実から考えられることはレコード番号及びチューリップマークの番号から1は1969年11月14日までに制作されたものであり、2と3のタイトルはそれ以降に制作されたものだということになるであろう。そしてそれは1969年末から1970年にかけてという推測でほぼ間違いなさそうであることがわかる。
次に紹介する2のDeep Water Reunionのアルバムのマトリックスには記号「QW」は無いものの、tulipマークと番号12703が書かれている。このアルバムに関しては、わりと詳細な情報が得られた。
Deep Water Reunionはアーカンソー出身のフォーク・ロック・グループだが、唯一のスタジオ・レコーディングをミネソタ州ミネアポリスで行い、それがこのLPタイトル「DWR」であった。実はこのカバー写真はレコーディング記録をそのまま撮影したものである。それによると1969年11月25日とある。さらに様々なウェブ・サイトを調べたところ正確なリリース日も知ることができた。アーカンソー州のKAAYというラジオ局のブログにDWRは1969年自主制作されたLPという記載がある。リードボーカルのBarbara Raney はアーカンソー州のリトルロック出身のようで、彼女が最近SNSにCindy's Cryingと何曲かをアップロードしているのだが、そのページのタイトルはCindy's Crying, the best of Barbara Raney となっており1969年12月26日リリースとも書かれている。この記載事実は最も信憑性が高い。
3の1970 Hawaiian Hullabalooの詳細については全く分からなかった。しかし、バック・カバーにこのレコードの社名である「Babson Bros. Co.」がイリノイ州のOak Brookという小さな町にあることと、タイトルとレーベル、そしてバックカバーの説明に1970年のハワイアンサウンドとあることから、1970年のリリースであることは確実であろう。
ちなみにこのレコードのマトリックス、Tulip(チューリップ)記号の後のナンバー12953が「O.P.D.」の12958と最も近いレコードであった。
さて、以上の事実で言えることは、これら5枚のレコードは、Tulipマークの後の番号順におよそ時系列で製作・販売されてきたことに間違いはなさそうである。ディスク・レーベルの形状とマトリックスから、「O.P.D.」の制作場所はイリノイ州からミネソタ州近辺である可能性は高いと言え、プレス時期はマトリックスのTulip12953から考えて、1969年以内であった可能性は低く、1970年の初頭、1月か遅くとも2月であったろうと結論付けた。
最後に・・・ このセクションをもってこのストーリーズ1は終わりになるのだが、実は・・・今回証拠不十分で書かなかった事実も多くある。その中の一つに、1970年2月のイリノイ州のローカル新聞に、あるフェスティバルの広告があり、そこには「Bootleg Beatle Albums available sunday」と書かれてあった。ポイントはAlbumsと複数形になっている点なのである・・また機会あればこういった事実も公表していきたい。