
ビートルズ・ブートレッグ55年目の真実
デッカ・テープス 総論
(Outline of "Decca Tapes")
セクション15 「複雑で、歪な関係性 その2」
Section 15 Complicated Relationship 2
なぜUntold Storyは生まれたか? (How and why "Untold Story" was written.)
1978年の「20x4」リリースから約半年後の年末にはSFFNo.30のニューズ・レターが会員に送付された。そこには、またもや意外な記事が掲載されていた。それは「Indian Rope Trick」のブートレッグ・レビューである。

↑写真 1978年末に送付されたStrawberry Fields Forever、ニューズ・レターNo.30 なぜか「Indian Rope Trick」のブートレッグ・レビューが掲載された。
ここでも何か妙な印象を受ける。というのも、この時点で既に「Indian Rope Trick」発売から1年が経過していた。1年前のブートレッグを紹介するというのは、実に不自然であるのだが、その上、掲載はなんとA4サイズ2ページにわたっているのである。
そして記事を読んでみると、それはずいぶんと偏った内容で、そこからおぼろげに理由が見えてくる。
一言で言うとこの記事は明らかに「Indian Rope Trick」を酷評するため載せたのである。最初から最後まで痛烈な批判に終始している。
Joe Pope 氏がこの記事を企画したのは、2つの理由があるように思える。ひとつはファンの間へ、アウテイクや未発表曲ではないFakeテイクが収録されてあることを周知したかったということがあるだろう。そしてもう一つの理由は、やはりWizardoグループへの(コピー・ブートレッグに対する)対抗措置である可能性が高い。
さらに驚きの事実はこの痛烈な批判記事を書いている人物は、あのWalter J. Podrazik氏 とHarry Castleman氏なのである!(参照→セクション 8 名乗り出た「Untold Story」を書いた人物)
つまり彼らは「The Decca Tapes」のバック・カバーに「Untold Story」の原稿を書く前の年に「Indian Rope Trick」の批判をしていたというわけである。
さてこれはいったいどういうことだろうか?
・・・・しかし冷静に考えると腑に落ちる。賢いのはWizardoであったのだ。
WizardoとP氏はリアルタイムでこの批判記事を読んだはずである。そしてその内容が痛烈であったからこそ、彼らは「The Decca Tapes」のライナー・ノーツ執筆にWalter J. Podrazik氏 とHarry Castleman氏の2人に白羽の矢を立てたのだ。(両氏がこの舞台裏まで察知していたかどうかはわからないが・・・)
Walter J. Podrazik氏 とHarry Castleman氏の「Indian Rope Trick」批判記事は、痛烈ではあったが、細かいデータに基づいていた。いわゆるFakeテイクや、別アーティストの曲といったトラックの出所について説明がなされていたのである。
おそらく記事を読んだWizardo側は、むしろ2人に頼んだ方が玄人好みのライナーになると踏んだのであろう。この発想の切り替えは見事に功を奏し、フィクションでありながら、事実ではないか?といった憶測まで飛ぶ、実にリアルなストーリーへと仕上がったのである。
一方、この流れの中でむしろ蚊帳の外に追い出されたのはPope氏だったのではないだろうか? この批判記事を企画し、2人に執筆を依頼したのはPope氏自身でったはずだ。しかし、その執筆者は結果的にWizardo側へ行ってしまったのである。

「20x4」には後に「Rock'n'Road 」や「No.3 Abbey Road NW8 」で使用されるトラックがSFFNo.27からのディスク・コピーで収録された。そして、その後マスター・テープがWizardo側へ渡っているということは、Pope氏とWizardo側(P氏)の間で取引があったことを意味している。Pope氏とWizardoがSFFNo.24と27に使用されたマスターテープの提供、さらには「Rock'n'Road」のマスター・テープ提供の中で、彼らの間でPope氏所有のデッカ・オーディション・テープについて話が出なかったはずはない。間違いなくWizardo側はPope氏の所有するデッカ・オーディション・テープが欲しかったはずである。
そしてPope氏はそれだけは取引に応じなかった。しかしそのやり取りこそが、Wizardo側からデッカ・テープスの音源が出てくることなど絶対にあり得ないという、ゆるがない意識をPope氏自身に芽生えさせてしまったのである。
そのため、Wizardo側から「The Decca Audition Tape」(Dect01)がリリースされた時には、青天の霹靂であったのだろう、彼の動揺は隠せなかった。彼はブートレッガーとは立ち位置が違うといった意識を持っていた。それ故、取り乱した彼は「流出した」とか「盗まれた」といった表現を使ってしまったのである。それは裏を返すと、Wizardoが新たに別テープを発見したなどとは信じたくなかったからである。自分の所有するテープとは異なるテープであったことは明らかで、音を聞けばわかったはずである。
彼はこの事件について後日説明すると言ったが、その後、その件について彼からコミットされることは無かった。なぜなら流出もしていないし、盗まれたわけでもなかったからである。
1980年5月に発送された37号ニューズレターには「前号でお知らせした"The Deccagone LP"はまだ購入可能である」とだけ書かれ、特に目新しい説明やコメントはなく、以降のニューズ・レターにおいても、この件に触れることは無かった。
Deccagoneのシングルシリーズとホワイト・ジャケットに入ったLPは1980年秋ごろに発送されたニューズ・レターNo.40まで同封されたカタログがに掲載されていたが、1981年以降はカタログから削除され販売されなくなった。
その後のPope氏
1980年12月ジョンレノンが凶弾に倒れた。Pope氏のStrawberry fields forever ニューズ・レターはその後もしばらくは発行され続けていたが、ある話によると、Pope氏にとってこのジョンの事件がひとつの契機となり定期的な年数回の発行は不定期発行になっていったという。
そしてニューズ・レターは1994年発行の52号が最新のものでそれ以降の発行は確認されていない。晩年は病のために思うような活動ができなかったのだろうと察する。
1999年6月3日付のボストン・グローブ紙はJoe pope氏が4月20日に長期療養施設で癌により亡くなった事実について、彼のプロフィールなどを加えた記事を掲載した。51歳という若さだった。SFFは1972年から発行され続けたので、20年以上続いていたことになる。前述のボストン・グローブ紙でも1974年と79年に彼の特集記事を掲載している。

←写真 左は1999年6月3日付のボストン・グローブ紙、Pope氏の訃報を伝えた。右は1979年3月15日付の同紙、Joe Pope 氏並びにファン・クラブ「Strawberry Fields Forever」の特集記事が掲載された。