ビートルズ・ブートレッグ55年目の真実

デッカ・テープス 総論

(Outline of "Decca Tapes")

     セクション16 「デッカ・テープス騒動が残していったもの」

(After "The Decca Tapes")


 1980年以降、アメリカ西海岸のブートレッガー達には明らかに変化があった。セクション 9  最大規模の強制捜査」 で書いたとおり、Vickyの事件によって大きな影響が出たからである。

  Wizardoグループは頻繁に使用していたプラントは使えなくなった。つまり拠点を移し、別のプラントへと移動した。その代表例が「Greg Lee Processing」である。「Greg Lee Processing」はカリフォルニア州ロングビーチ近郊にあったプラントで、1980年代から1990年代にかけてプレスされたディスクには、マトリックスにLで始まる番号が刻印されているのが特徴である。(例えばSide AにL- ●、そしてSide BにはL- といったように、裏面には✕が末尾につく)

 「The Decca Tapes」(DecT01)にはこのL-ナンバーはついていなかったが、同じCircuit Recordsからリリースされた「Broadcasts」には付与されている。

 そして、奇しくもこのL-ナンバーをたどっていくと、Wizardoグループが最初にこのプラントでプレスしたレコードは1980年初頭の「Take Good Care Of My Baby(DEMO DISC)」(Decs01)だったのである。ここに収録されたトラックはJoe Pope 氏のDeccagonesに収録されたものとは異なり、リバーブ処理され、ややピッチが速い「The Decca Tapes」(DecT01)収録のものと同じであった。つまり、あれだけJoe Pope 氏が執念をつぎ込んでいた最後のシングルは皮肉にもWizardoグループの(おそらく)P氏によって作られたしまったのである。

↑写真 「Take Good Care Of My Baby(DEMO DISC)」(Decs01) 1980年初頭における「Greg Lee Processing」でのプレス。収録されたトラックはJoe Pope 氏によるものではない、「The Decca Tapes」(DecT01)のトラックと同じものである。

 Vickyの事件による余波はTobe Miloも同じだった。前述の「the 910」によると「Man Of The Decade」(ToMi04)はTobe Miloによってプレスされたものであるが、故意的にTobe Miloの名義を使用せず、ナンバーなども全く異なるものを使用した。ひとつの理由は一人のメンバーが辞め、すでにTobe Miloでなくなったことによるものとしているが、もう一つの理由として、Vickyの騒動直後であったため、従来の名をクレジットすることにリスクを感じたからだったとしている。

         ↑写真 「Man Of The Decade」(ToMi04)はTobe Miloによって製作された。

 この「Man Of The Decade」に収録された「Studio Toga」はブートレッガーのためのサンプル・テープだったと言われている。ここにダイジェストで収められた曲は、やはりNugraテープからであり、数年後に「Vegemite」あるいは「Sweet Apple Trax Ⅲ」のタイトルで陽の目をみる。そしてそれらは1986年の「Get Back Journals」へと繋がっていくこと、さらに、1980年以降もMilo氏は「Beatles Story」「Live At The Abbey Road Studio」という名盤を輩出したが、「The Beatles Story」にはL-ナンバーが付与されており、「Greg Lee Processing」でプレスされていることを物語っていることと、「Live At The Abbey Road Studio」はVerzylによってプレスされたことを考えると、その後もMilo氏とP氏そしてVerzylとの関係は続いており、Milo氏のメジャー・ブートレッガーとの付き合いは決して振り回されることなく上手く継続されていったのである。


←写真 「The Beatles Story」(1980年、未リスト)150セット限定、13枚組のピクチャー・ディスク。その他ブルー・カラーでもプレスされた。マトリックスにはL-ナンバーが付いており、「Greg Lee Processing」でプレスされたことを物語る。このセットは「Ticket To Ryde LTD.」を通し販売された。

参照→「Get Together! 」(ToMi02)


↓写真 「Live At Abbey Road Studios」(1983年、未リスト)企画はTobe Miloによって行われたが、プレスはVerzylレーベルだった。

 そしてデッカ・オーディション・テープに関して言えば、1981年以降、ブートレッグだけではなく、正規・レコード・レーベルからリリースされ始めていった。著作権の問題を考えるならば、それらのものはグレー・ゾーンであったが、中にはほぼブートレッグと思われても良いようなつくりのものもあった。

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