ビートルズ・ブートレッグ 55年目の真実

STORIES 2-4

First Bootleg by John Wizardo Part.1

Wizardo最初のブートレッグ・パート1

(HOLLYWOOD BOWL LIVE / Phase 4 )

 (前回Hollywood Bowl Live Phase 3からの続きになります、

         こちらもどうぞ 参照→ Hollywood Bowl Phase 1, Hollywood Bowl Phase 2)

1971年から1972年初頭において西海岸では多くのスタンパーがDittolino によってリイシューされていた。既に「Shea The Good Old Days」や「Last Live Show」をリリースしていたDittolinoであったが、今度はFiga と名乗り「Live At The Shea Stadium (HOL029)」というブートレッグを製作した。このとき使用されたスタンパーは FIGA 3-A/B というマトリックスだった。内容は相変わらず「SHEAー1/2」マトリックスのブートレッグからのコピーだった。Dittolinoの活動はおよそ1972年中盤まで行われたようであるがその後、彼らの活動は途絶える。

写真上段はLive At The Shea Stadium

→HOL029

下段はAER Records名義のイタリアでプレスされたと思われる、同マトリックスのLive At The Shea Stadium

レコード盤やカバーの質がアメリカ西海岸のものとは異なっている

→HOL030

 後になってわかったことだが、Figaの社名でプレスされたスタンパーを使い、「AER Records」という社名による同じブートレッグがイタリアで確認されていた。

 これらのレコードはアメリカ西海岸でプレスされたものと質的に異なっているものもあり、使用されたカバーも柔軟でよくUKなどのヨーロッパで見られる紙質のカバーである。つまり彼らはスタンパーをアメリカからイタリアに持ち込んで、イタリア国内でプレスした可能性が高い。さらに1972年後半以降、彼らの活動がアメリカで確認されていないので、彼らはアメリカに帰ってこなかったのかもしれない。

 同様にJimi Hendrix や Neil Young のタイトルでも同様の現象が認められ、AER Recordsからのリリースがあった。

 (参照 → Data Refference FigaとAER Records

 だが、Figaのスタンパーはこれだけでは終わらない。どのブートレッガーがプレスしたのかは全く不明だが、やはり同じスタンパーを使い、ユニークなブートレッグかごくわずかプレスされていた。タイトルは「The Shea Stadium Concert」で、フロント・スリックには「5D Recordsという社名があり、ディスク・レーベルは「Collecor Label」、曲名なども印刷されている。

FIGA 3-A/B というスタンパーを使ってプレスされた「The Shea Stadium Concert

注:このブートレッグのディスクは20年以上前に手放してしまい、現在手元に無い。解像度の低い写真しか残っていないためlivedoor-Blogにはリストしないことにした

  5D RecordsはBuffalo Springfield の「Bluebird Roots」そして、Cat Stevensの「Concert」というブートレッグもリリースしている。さらにFigaがリリースしたタイトルで、Bob Dylanの「Walking Down The Line」も同じ「Collecots Label」を使いカラーでプレスされている。そしてこれら3つのタイトルは、Smokin'Pig Labelでもリイシューが確認されている観点から、TMOQのK氏が関係している可能性がある。

(参照 → Data Refference FigaとAER Records

 DittolinoがFiga盤を製作していた頃、Dittolino とは近しく、取引があったブートレッガー、HHは「Shea The Good Old Days 」のリイシュー盤をプレスしていた。そしてその一部は当時まだ高校生だったWizardoの手に渡ることになり、結果的にそれらがWizardoが初めて制作したブートレッグとなるのである。

  1971年当時Wizardoは高校生だった。ブートレッグに興味を持ち、友人のラリーとオレンジ郡のスワップ・ミートで、ブートレッグの販売を行っていた。1971年の時点ではWizardoらの取引先は限られていた。そこでHHと知り合い、彼の紹介でWizardoらはDittolinoとも取引を開始するようになった。そして1972年に初めて、彼自身によるブートレッグを製作するに至った。それが「'Get Yer Yeah - Yeah's Out' Live At The Hollywood Bowl 7-24-64」というタイトルであった。

Orange Countyは正式名称オレンジ郡、頭文字はO.C.で知られ、アメリカ合衆国南カリフォルニア州ロサンゼルス都市圏に位置する郡である。 スワップ・ミートは不用品交換から始まり、様々な売買が行われる市場。Orange Countyにおけるスワップ・ミートは1969年から始まった。

 今回紹介する内容は、ピンク・フロイドのブートレッグを紹介しているウェブ・サイトで2020年に公開されたWizardoのインタビューの内容と、2024年に発売された、彼の歴史がまとめられている本の内容が主であるが、加えて1996年にカリフォルニア州オレンジ郡で発行されているOC weekly誌に掲載されたWizardoとVicky Vinylのインタビューの内容、そして既にlivedoor-Blogで公開した「'Get Yer Yeah - Yeah's Out' Live At The Hollywood Bowl 7-24-64 (HOL022/023)」の詳細データ、そして同じ「Wizardo Rekords」名義によるRolling StonesとPink Floydの計3タイトルのブートレッグの詳細とともに紹介していきたい。(注:Wizardoが初期に制作したレコードにはWizardo Records ではなくWizardo Rekordsと表記されている。)

1996年4月にOCweeklyに掲載されたWizardoとVickyのインタビュー記事。記事を書いたのは、Wizardoグループの中でも活動したことがあるJ・W氏。彼はVickyと共に1980年にCBSからの訴えに敗訴、多額の負債を抱え自己破産に追い込まれた。その後OC weeklyの記者となりこの記事を書くに至ったのである。

 J・W氏は1995年に発売された「Black Market Beatles」 の中にもブートレッガー「ロード・ブッダ」の名でインタビューを受けている。高校時代はVickyのボーイ・フレンドで、彼らが最初にWizardoと知り合ったのもオレンジ郡スワップ・ミートでWizardoがブートレッグを販売していた時だった。J・W氏がそこで購入し感動したブートレッグがまさに「Shea The Good Old Days」だったのである。

 OC weeklyのインタビューでは彼がオレンジ郡(Orenge County)のスワップ・ミート(Swap Meet)でブートレッグの売買を始めるまでの詳しい記述があるが、一方でこのブートレッグを作るきっかけなどは2020年のインタビューでその詳細が明らかになっている。

 そもそもWizardoがブートレッグに興味を持つきっかけとなったのは、母親がドライブする車の中で聞いたラジオであったとしている。それは彼が14歳の時でラジオから流れていたのはRolling StonesのLiver Than You'll Ever Be であったそうだ。2020年のインタビューではそれがKYMSというオレンジ郡にあったアンダーグラウンドのラジオ局であったことが書かれており、彼が友人のラリーとそのラジオ局のボランティアに参加した際に、ラジオ局のレコード・ライブラリで彼がそれまで知らなかったブートレッグを見つけ、魅力を感じたという。

 彼らはある日ブートレッグを扱うレコード・ショップを探し出し、そこから仕入れ先となるある人物へのコンタクトが始まったと説明している。そして仕入れたブートレッグをオレンジ郡のスワップ・ミートで販売し始めたのである。

 彼が「Get Yer Yeah Yeah's Out・The Beatles・Live At The Hollywood Bowl 7-24-64」の制作に至った直接のきっかけは、ハービー・ハワード(Herbie Howard)が「Shea the Good Old Days」というタイトルのブートレッグをプレスする際に工場側がミスにより500枚多くプレスしてしまったことだったという。ハービー・ハワードは「HH」の名称で知られる初期のブートレッガーである(以降、名称:HH)。代表的なタイトルにBeatlesの「More Get Back Session」があるが、彼の作ったいくつかのブートレッグにはマトリックス・ナンバーの冒頭にHHの文字があるという特徴があった。


写真はBeatles / More Get Back Session

詳細→(MGS1)

 HHが1972年から73年頃製作したブートレッグ。

 HH は初期のころから活動していたブートレッガーだったが、「HH Label」としてファンに認識されるのはかなり遅かった。しかしながら、この「More Get Back Session」もそうだが「Rolling Stones / Madison」「Led Zeppelin / Stairway To Heaven」「Elton John / All The Young Girls Love Alice」など、いわゆる名盤のタイトルは多く、しかもHH盤がオリジナルであるケースが多い。

 彼が初期に制作したブートレッグには有名なタイトルが多かった。DittolinoにWizardoを紹介し、仲介役を果たしたのも彼だったのである。しかるに、その時点でHHとDittolinoは親密な関係であったし、のちにWizardoがDittolinoやHHによるスタンパーを入手しリイシューしたこととも繋がってくる。

 前述の通り、HHの仲介によりDittolinoとの繋がりができた結果、Wizardoはスワップ・ミートでDittolino のブートレッグも販売できるようになったと語っている。 そしてある日、HHからWizardoのもとにビジネスに関するオファーが来たという。それはHHがプレス工場にオーダーした「Shea the Good Old Days」がミスにより500枚ほどオーバー・プレスしてしまったので、工場側から割引販売するという内容だった。HHはオーバー・プレス分を買うつもりはなかったので、Wizardoは喜んで同意し、それら500枚をすべて引き受けたという。彼が望んでその500枚を引き取った理由には2つあった。

 一つはそれらがホワイト・ジャケットにレコードが入った状態で渡されるので、彼が独自のデザインでインサート・カバーを作ることができたこと、そしてもう一つの理由は正しい「Hollywood Bowl」のタイトルを表記できることだったと語っている。

 実は1964年のHollywood Bowlライブを収録したブートレッグは、1970年イギリスで製作されたEP2枚組に始まり、アメリカのKustom Recordsレーベルによる「The Only Live Recordings Beatles-1964」あるいは「Live At Shea」というタイトル、そしてDittolinoによる「Shea the Good Old Days」といったタイトルが出回っていたのだが、その時点では1964年の「Hollywood Bowl」でのライブであるという正しい表記はなかった。しかしWizardoはそれらがシェア・スタジアムのコンサートではなく、1964年のHollywood bowlであることを知っていた。

  彼は前述のKYMSのDJから正しい情報を得ており、実際にそのDJが以前にCapitolのテスト・プレス盤も聞いて確認しているとのことで確信を得ていたのだという。

 こうした経緯によって「Get Yer Yeah Yeah's Out・The Beatles・Live At The Hollywood Bowl 7-24-64」というはじめて正しい「1964年Hollywood Bowl」の表記のついたブートレッグがWizardoの手によって作られることになるのである。

 2020年のインタビューの中では、Wizardoと友人のラリー、そしてランスという友人の3人で一晩かけ、雑誌の切り抜きなどをマテリアルにしてカバーのデザインをつくり上げたエピソードが語られている。また1996年のOC weeklyのインタビューの中では、そのカバーに加え、カバーの中に挿入された、かなりふざけた内容のインサートについても言及されている。

 しかしながらそのインタビューの内容と実物とでは若干異なる要素もある。2種類の「Get Yer Yeah Yeah's Out・The Beatles・Live At The Hollywood Bowl 7-24-64(HOL022/023)」が実際にはどのような仕様であるか詳細を説明していきたい。

 まずインタビューの中でも語られていた、Wizardoらしいユーモアたっぷりのインサートは2種類あり、どちらも挿入されているわけではなく、どちらか1つが挿入されたようである。「Dear Beatle Nuts」で始まるパロディのようなステートメント、また別のインサートは「OFFICIAL BEATLE PRESS KIT」と題され「Free Beatle Wig」について描かれてある。

詳細→(HOL022

(HOL22/23)の2つのフロント・カバー・インサートは同じものであるが、HOL022ではバック・カバーに小さな緑色の紙が貼られており、曲目がプリントされていた。、ディスク・レーベルはDittolinoで、マトリックスは

Mixed Type Ⅰ: SHEA-1/ SHEA-2 △ S-2532  だった。(参照→SHEA THE GOOD OLD DAYS / LAST LIVE SHOW

 そしてこちらにはBeatlesのHollywood Bowlライブに関するユーモアたっぷりのステートメントが書かれたインサートが入っている。

内容は、Dear Beatle Nuts (親愛なるビートル狂へ)で始まり、

Wizardo Records は1964年のハリウッド・ボウルを発見した。私たちはそれを見たとき、いいことを思いつきました、勝手ながらそれはこのレコードのリリースです。私達は皆さんが聞いて楽しんでいただければと思います、私達がひともうけできることを楽しむようにね。と綴っている。

 このインサートに関してはWizardo自身がOCweeklyのインタビューの中でも触れており、「自分たちのレコードレーベルを持とうと思ったんだ。・・・僕もビートルズのレコードを作れるはずだよ」と語っており、当時Wizardo Rekordsという自身のレーベルを持ちたかった本音をのぞかせていた。

詳細→(HOL023)

一方で、HOL023はSmall 1/2レーベルで、マトリックスは「SHEA-1/2」 (完全SHEA-1/2型)であった。

 バック・カバーにはやはり曲目がプリントされた小さな紙が貼られていたが、こちらは白い紙に黒でプリントしてある。また、ブルーの「Shea The Good Old Days」のフロント・スリックも挿入されていた。そして、HOL022と大きく異なるのは「OFFICIAL BEATLE PRESS KIT」と題されたインサートである。「Free Beatle Wig(かつら)」と書かれており、折って組み立てれば「かつら」になるという、ばかばかしいものである。

 当時のWizardoが販売したブートレッグは話の前後関係より、基本的にOrenge Countyのスワップ・ミートのみでの販売であったと思われる。しかるにこのタイトルを含めWizardo Rekiords名義のブートレッグは当時、レコード・ショップ等に流通は無かった思われる。

またこのBeatlesのタイトルに関して言えば、制作枚数は500だったことになる。

 では具体的に「Get Yer Yeah Yeah's Out・The Beatles・Live At The Hollywood Bowl 7-24-64」はいつ制作されたのだろうか?

パート2へ続く→First Bootleg By John Wizardo Part.2(Wizardo最初のブートレッグ パート2)

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