
ビートルズ・ブートレッグ 55年目の真実
STORIES 2-5
First Bootleg By John Wizardo Part.2
Wizardo最初のブートレッグ パート2
(HOLLYWOOD BOWL LIVE / Phase 4)
では具体的に「Get Yer Yeah Yeah's Out・The Beatles・Live At The Hollywood Bowl 7-24-64」はいつ制作されたのだろうか?
WizardoはWizardo Rekords名義でほかにも2組のアーティストのブートレッグを制作している、以下3タイトルのそれらとともに、制作時期を検証してみたい。
Pink Floyd / The Miracle Muffler
Pink Floyd / Take Linda Surffin'
Rolling Stones / Happy Birthday Mick!
まずPink Floydの2タイトルはWizardoにとっても重要なブートレッグだったようである。
なぜならば、BeatlesとRolling stonesのタイトルは他人がプレスしたレコードだった、しかしこのPink Floydの2タイトルは彼自身がスタンパーを入手し、自らがプレスしたのである。

写真:Pink Floyd / Take Linda Surffin' The Miracle Mufflerもそうだがインサートはフロントからバックへ折り返しになっており、そのインサートを切らなければ中のレコードを取り出せないようにしてある。
マトリックスは
PF RECORDS-3
PF RECORDS-4
2020年のインタビューの中にその時期が特定できそうなエピソードを彼はいくつか語っている。彼と友人のラリーがPink Floydのレコードを聴いてファンになった時、コンサートの録音を決めたという。実際に彼らはハリウッド・ボウルのコンサートを録音したという。Wizardoはその時16歳であったと語っている。その録音に関して、Wizardo自身はブートレッグにはしなかったが、録音テープはTMOQのK氏からTAKRLの手にわたり「Crackers」というタイトルでリリースされたという。
Pink Floydがハリウッド・ボウルでコンサートをしたのは1972年9月22日である。そしてその数週間後に前述のタイトルであるTake Linda Surffin'を制作したと証言している。
さらにThe Miracle MufflerとTake Linda Surffin'のためのスタンパーを入手するチャンスはTMOQのK氏から受けた話であったという。その時のことを彼は次のように語っている。
「We loved the idea of a Pink Floyd record being the first "official" Wizardo release; our earlier Beatles boot having been manufactured by Herbie Howard.」
(ピンク・フロイドのレコードがウィザードの最初の「公式」リリースになるというアイデアは私たちにとってとても魅力的でした。もっと早くのビートルズのブートはハービー・ハワードによって製造されたものだったからです。)
これらの証言から考えられることはPink Floydの2タイトルの制作は1972年10月頃であり、既に「Get Yer Yeah Yeah's Out・The Beatles・Live At The Hollywood Bowl 7-24-64」制作からそれなりの時間が経過していたということになる。

写真はThe Miracle Muffler レーベルにあるイラストはラリーによるものであろう。Side2のイラストは後にWizardo Recordsで使用されることになるOld Gloryレーベルの原型のようである。
マトリックスは
PF RECORDS-1
PF RECORDS-2
そして、「Rolling Stones / Happy Birthday Mick‼」であるが、Beatlesの「Get Yer Yeah Yeah's Out」と同じくカバーデザインがWizardoによって作られたもので、中に入っているレコードは別ブートレッガーによるプレスである。それは言わずと知れたTMOQによる「Welcome To New York!」だった。

写真は The Rolling Stones/Happy Birthday Mick!!
こちらのカバーも折り返されたインサートを切らなければレコードを取り出せないタイプである。
中に入っているレコード盤はTMOQレーベル(横ブタ)のカラー盤である。
マトリックスは下写真の本家本元の「Welcome to New York!」とは異なっていることがわかる。
文中にも書いたが、こちらが正真正銘のTMOQによるファースト・プレスである。

Welcome To New York!は1972年7月のニューヨーク、MSGでのライブを収録した有名ブートレッグであるが、オリジナルは HHがリリースした「MADISON」である。2020年のインタビューの中でも、「MADISONからTMOQのD氏がコピーしたものがWelcome to New York!である」とはっきり断言しており、当時のブートレッガー達は各々コピーを容認していたとも付け加えている。当然、WizardoによるHappy Birthday, Mick !! - Live In New York, July 1972は1972年後半以降に制作されたということになる。
写真左はHHによる「MADISON」TMOQの「Welcome to New York!」はこのレコードよりコピーした。ちなみに「HH Label」というカテゴリーはHot Wacks Book Ⅴ(1978年)のこの「Madison」の記述に初めて登場する。
写真下は本家本元TMOQによる「Welcome to New York! 」だが、新たにマスタリングしなおし、再プレスしたのでマトリックスは RS 54 - A/B Re1 となっている。

さて、Wizardoがどのようにして、TMOQの「Welcome to New York!」を手に入れ、「Happy Birthday Mick‼」を製作したのか? その顛末は2024年に発売された「Stories Of A Bootlegger Book」に書かれてある。「Welcome to New York!」を製作したのはTMOQのD氏だった。しかし、D氏は2つのミスを犯したという。一つはウィリアム・スタウト氏が描いたカバーの寸法を間違えて印刷してしまったこと、もう一つはマスタリングのミスでステレオではなくモノラルになっていたことだそうだ。D氏はこれら不良のレコードをWizardoに格安で売り、Wizardoはそのレコードをもとに「Happy Birthday Mick‼」を製作することができたというわけである。そのため、確かにこれら2枚のレコードはマトリックスが異なっている。「Happy Birthday Mick‼」がRS 546 -A/Bであるのに対し「Welcome to New York!」はRS 546 -A/B Re1となっている。しかし、2つのレコードを聴き比べ、厳密なことを言うと(D氏の名誉のために⁉)、実は「Happy Birthday Mick‼」もステレオである。ただ「Welcome to New York!」のように左チャンネルにキースのギター、右チャンネルにミック・テイラーのギターというようにステレオの分離度を高くし、振り分けられていない。(オリジナルの「Madison」ではそうなっている)「Liver Than You'll Ever Be」を製作して以来、D氏はストーンズ・ブートレッグの担当であった。そこには、いわゆる「こだわり」があったのかもしれない。
この「Welcome to New York!」のリリース時期はバック・カバーの記載からも、1973年に入ってからと思われるが、ひょっとするとWizardoが手に入れたファースト・プレス盤は1972年の終わりごろなのかもしれない。

ところで、カバーデザインに使われているのはアメリカン・コミックのキャラクター「Nancy」であるが、Nancyが持っているバースデー・ケーキにはMickと書かれている。おそらく、Nancyの姿をコピーしケーキはWizardoによって描き加えたものであろう。
「Nancy」はErnie Bushmiller氏の作品でNews Paper strip という新聞に掲載されていた漫画だった。ナンセンスなジョークも多く、Wizardoのお気に入りだったのかもしれない。
写真左:話は少し寄り道になってしまうが、WizardoはWRMB501のRunawaysのブートレッグでは、Nancyをパンク・スタイルにし、リイシューした
続けてHOL022/023の制作時期について知る手掛かりとなる話がある。ラリーの寝室でWizardoとラリーが「Get Yer Yeah Yeah's Out・The Beatles・Live At The Hollywood Bowl 7-24-64」のカバーとインサートを作成した時、ランスという友人が来て手伝ったと語っている。そしてそのランスとの思い出話の一つとして、1972年5月にハリウッド・ブルーバードを2人で歩いていた時、偶然にもミック・ジャガーにあったという話をしている。
その時ミック・ジャガーは「Eat Shitという2枚組アルバムのミキシングをしている」と彼らに言ったそうである。もちろんそれは「Exile On Main Street」のことでミックの冗談だった。
しかし実際、「Exile On Main Street」がリリースされたのは1972年5月であり、Los AngelesのSunset Sound Recordersというレコーディング・スタジオでの「Exile On Main Street」のセッションは確かにミック・ジャガー参加で行われたが、一般的な資料によると1971年12月から1972年3月まで行われたとされている。
Wizardoの記憶が間違っていた可能性はある。実際にミック・ジャガーに出会ったのはそれより数か月前ではなかろうか?
HHから500枚の「Shea the Good Old Days」のオファーがあった時、WizardoはHHからDittolinoを紹介してもらい、彼らと数か月間の取引があった後のことだったと語っている。
「Get Yer Yeah Yeah's Out・The Beatles・Live At The Hollywood Bowl 7-24-64」の制作はPink FloydやRolling Stonesのブートレッグよりも前でそう遠くは無かったはずである。1972年の9月より前であり、Wizardoがインタビューで言った通りWizardoを名乗った最初のブートレッグであったするならば1972年の前半に制作されたのではないだろうか?
2020年のインタビュー全体から具体的な時期の記載がある箇所をを時系列で並べると以下のようになる。
1. Wizardoは1969年、高校1年生で13歳であった。
2.高校3年でBootlegの仕入れと販売を起業する、直後にSimca Sedanという車を購入する。その時15歳であった。(一般的にアメリカのハイスクールでは8月~9月が新学期である)
3. Simca Sedanを購入したのちにHHと出会い、Dittolinoを紹介してもらう
4. 彼らと数か月間の取引後HHより「Shea the Good Old Days」のオファーをもらう
5. 16歳の時Pink Floydのハリウッド・ボウル公演を録音し、その数週間後(1972年10月頃)Take Linda Surffin'を制作した。
6. The Miracle MufflerとTake Linda Surffin'のためのスタンパーを入手する際の話の中で、Beatlesのタイトルはもっと早期制作したと語っている。
さて以上の事実と友人ランスとの思い出話から考えると、「Get Yer Yeah Yeah's Out・The Beatles・Live At The Hollywood Bowl 7-24-64」は1972年の前半に制作されたと考えるのが妥当ではなかろうか?
よって、Wizardo最初のブートレッグは1972年春から夏にかけての時期と結論付けた。仮に違っていたとしても、そう大差はない時期であろう。
ともあれ、1970年から始まったハリウッド・ボウル・ライブがシェア・スタジアムと誤記された、一連の問題はこれにて解決することになる。以降、1972年末にリリースされた「Back In 1964 at The Hollywood Bowl 」のように、正しいタイトルでブートレッグ・イシューは続いていった。
Hollywood bowl Live Phase 5 へ続く