ビートルズ・ブートレッグ55年目の真実

Section 2 (セクション2)ステレオ「KUM BACK」

 最も初期に比較的音質の良いステレオで11曲収録された「KUM BACK」には2種類ある。

ここではこれらをステレオ「KUM BACK」と呼ぶことにする。

レッド・スタンプKUM BACK

ブルー・スタンプKUM BACK

 ひとつは長細い字体で、ワインレッド色のスタンプカバー盤、レーベルは何も印刷されていないホワイト・レーベル、マトリックスは数字の「15」とその他記号や数字が認められる。音質はやや出力が小さく、ピッチがわずかに速い状態で収録されているのが特徴である。これをレッド・スタンプ「KUM BACK」と表記することにする。

 もう一方の「KUM BACK」はブルーインクのスタンプカバー盤、やはりレーベルは何も印刷されていないホワイト・レーベルでマトリックスに「775」と書かれているため通称775と呼ばれたりする。この775は音声出力が大きく、ピッチも正常に近い。これをブルースタンプ「KUM BACK」あるいは775とここでは表記する。

 これら2つのステレオ「KUM BACK」はセクション1で触れた1993年に発売された「Posters, Incense And Strobe Candles」と同一の放送内容を収録してある。1969年9月22日のマサチューセッツ州ボストンのFM局WBCNが放送したものだ。「Posters, Incense And Strobe Candles」には放送用に制作されたオープン・リール・テープから収録されてある。一方、アナログのステレオ「KUM BACK」は1969年当時この放送を受信し録音したものをマスターとしている。当然音質は劣っているが、当時のブートレッグとしては最高の音質であった。ただ、DJの声はカットされ、なぜか「For You Blue」は曲の途中でフェードアウトする。フェードアウトしてしまう理由は定かではないが、何か録音のトラブルで曲の最後までは録音しきれなかったのかもしれない。

 どちらのステレオ「KUM BACK」も「For You Blue」はフェードアウトしてしまうということは、どちらかがどちらかのコピーであるか、同じマスターテープから作られた可能性もある。果たしてこの2枚はいつ頃、どこで作られたのだろうか? そして、どちらが先に作られたのか?

 2つのステレオ「KUM BACK」は共にカバーとレーベルに何もプリントされていないため手がかりが少ないのだが、この真相に迫ってみたい。


Section 3   (セクション3) 「KUM BACK」の音源

 「KUM BACK」のマスターとなったWBCNによる1969年9月22日放送音源はどのようなものであったのだろうか?

 このWBCNの音源は俗にCompilation1と呼ばれている初期段階の編集で、ゲット・バック、レコーディング・セッションの終わり頃である1969年1月下旬に作られた最初のアセテート盤がマスターになっていると言われている。しかし確実ではない理由は、その初期のアセテート盤がカットされた記録はあるものの、実物がどこにあるのか(誰が保管しているのか)、写真などは残っておらず、その証拠となる事実は乏しいため、その最初のアセテートの音がこのWBCNのものであるかどうか確証は得られていない。

 ただ、音を聞くとそれは明らかにリリースを目的とした編集ではなく、初期段階のラフな編集である。そしてスクラッチ・ノイズをひろっていることからアセテート盤から起こしたものであることも間違いなさそうである。

 ところでWBCNがどのように音源を入手したのか、過去には諸説あった。

 例えば以前には、各ラジオ局にプロモーション用のレコードが配布されそれが元となったと言われていたこともあったが、実際にはそれらの配布は無かったことがわかっている。またジョン・レノンがアセテート盤からテープをつくり、あるジャーナリストに渡した。その人物がさらにラジオ局に渡したという話もある、まことしやかな話ではあるが長年信じられている説である。

 仮にそういった事実があったとしても疑問はわいてくる。というのも当時ゲット・バック音源を放送したのはWBCNだけではなく、別の局では異なる音源も放送されていたからである。つまりこれらの音源と流れたルートは一つではなかったはずだ。

 確認されている当時の放送をまとめると以下のようになる。

 ① 1969 年 9 月 20 日 ニューヨーク州バッファロー WKBW

 ② 1969年9月22日 マサチューセッツ州ボストン WBCN 

 ③ 1969年の末頃 オンタリオ州(カナダ)ウィンザー CKLW 「レット・イット・ビー」のみのオンエア

 ④ 1969年9月末頃 オハイオ州クリーブランド  WIXY

 ③と④については後述するとして、①の1969 年 9 月 20 日 ニューヨーク州バッファロー WKBWの放送はWBCNのたった2日前の放送でありブートレッグ「O.P.D.」の音源となったものだ。良音質のステレオで放送されたWBCNとは異なり、こちらはモノラルで音質も悪い。しかしこの音源は実は貴重なものだった。明らかにWBCNのCompilation1とは異なる編集で、Compilation2と呼ばれている(1969年5月の編集と言われている)。しかも「O.P.D.」に収録されているものは「KUM BACK」のようにリスナーが受信、録音したものではなく、DJの声が一切入っていない放送前のマスターからなのである。

 このように少なくとも2種類以上の異なる編集の音源が複数の放送局へと渡っていたことは間違いない。仮にジョンがテープを渡した話が本当だとしても、そのほかにもテープ流出の経路が存在しなければ説明がつかない。もっと複数の証言があってもよさそうだが、なぜかいまだに不明なのである。


Section 4   (セクション 4)  クリーブランドWIXYからの放送

 前セクションでの③と④について説明をしておこう。

 まず③のCKLWの放送についてだが、ある当時のリスナーが某ウェブサイトにそのときの模様を綴っている。それによると放送はCKLW-800 AM Windsor/Detroit.によるもので1969年の11月かもしくは12月のことであったという、放送されたのは「Let It Be」だけで、DJによるアルバム「ゲット・バック」に関する短いコメントがあり、それがアセテート盤からなのかテープコピーされたものであったかは示されなかったという。

 次に④のWIXYによる放送なのだが、これに関しては明確な記録が残っている。それはオハイオ州クリーブランドのPlain Dealerという地方新聞が当時報じたものだ。1969年9月26日付 のPlain Dealer紙にはWIXY-1260がビートルズの6曲の未発表曲を放送したという記事が掲載されているのである。

 放送日など詳細は書かれていないが、当時のPlain Dealer紙は日刊紙であったため、おそらくは前日の25日か直近の話であろう。この時点では曲のタイトルがわかっていないため、このライターはそれぞれ自分が聞き取った歌詞の一部を書いている。その内容から判断すると、放送された曲は「Let It Be」「Dig A Pony」「One After 909」「Dig It!」「The Long And Winding Road」「Two Of Us」の6曲であったことがわかる。WBCNのようなステレオ音質であったのか、あるいはWKBW同様の音質であったかなど詳細が不明であることは残念だが、興味深いのは「One After 909」と「Dig It!」が入っていることで、WKBW同様のCompilation2である可能性が高い。

 そしてこの話には続きがある。この記事から4か月後になる1970年1月23日付の同Plain Dealer紙にはブートレッグ「KUM BACK」についての記事が掲載されたのである。

 その内容は「数日前に$ 6.98でレコードショップに並んだ」そして「そのいくつかの曲は4か月前にWIXYで聞いたものだった」と9月26日の記事を書いた同じライターが綴っているのである。

写真左:1969年9月26日付 のPlain Dealer紙、WIXY-1260がビートルズの6曲の未発表曲を放送したと掲載されている

写真右:1970年1月23日付のPlain Dealer紙、「KUM BACK」発売の記事が掲載された

 レコード・ショップでライターが目撃した「KUM BACK」は無地のホワイトジャケットにKUM BACKとスタンプ押しされていたとレポートしている。残念ながらそのスタンプが何色であったかまでは書かれていない。しかしながら「KUM BACK」が1970年の1月中旬にクリーブランドのレコードショップに出回ったというこの記事は貴重な証拠の一つであることは間違いない。

 さて、ここでセクション4までに出てきた事実を地図上でまとめたい。

まず、1969 年 9 月 20 日 Compilation2を放送したWKBW (ニューヨーク州バッファロー)はの地点、1969 年 9 月 22 日Compilation1を放送したWBCN(マサチューセッツ州ボストン)の位置が、そして1969年9月25日頃WIXY-1260による放送があり、1970年1月中旬にKUM BACKが店頭に並んだとされるオハイオ州クリーブランドがである。これら3地点は決して離れているという距離ではない、そしてバッファローのすぐ北にはカナダのトロントがあり、ジョンはプラスティック・オノ・バンドとして1969年9月12日にライブ演奏のためここを訪れている。噂ではこの時に例のテープをジャーナリストに手渡したとされているのだ。


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