
ビートルズ・ブートレッグ 55年目の真実
STORIES 2-2
不幸なブートレッグJUDY (HOLLYWOOD BOWL LIVE / Phase 2)
BEATLESのブートレッグの中でも酷評され、人気のない「JUDY」というレコードがある。このブートレッグは1970年代から多くの書籍などで紹介されてきたのだが、そのほとんどは正確な情報ではなかった。
JUDYのオリジナル盤(JU01)は1971年の初頭、アメリカ西海岸でプレスされた。黄色地に黒で印刷された「Kustom Rekords」のディスク・レーベルが貼られ、ジャケットは無く、レコードのみがイギリスに輸出された。輸出後イギリス国内で作られたB/Wの直刷りカバーに入れて販売された。
当時アメリカではアルバム「HEY JUDE」が発売され、主にアメリカではLP収録されていなかったシングル盤がステレオ収録されていることがセールス・ポイントだった。アルバム「HEY JUDE」が発売されていなかったイギリスの市場を意識し、「HEY JUDE」に近い選曲となっているのだが、もちろん正規盤からコピーしたパイレート盤だったのである。
マトリックスは「2002-A/B」。カバーやディスク・レーベルにはステレオ表記はないが、音質はステレオ(あるいは疑似ステレオ)で収録されていた。このオリジナル盤の「JUDY」がアメリカで出回った形跡はない。イギリスのみでの販売であったためと、コピー盤「JUDY」(JU02)はイエローとブラックのカバーで作られ、広く多く出回ったためか、オリジナル盤よりもコピー盤のJU02の方がよく知られるようになった。マトリックスは同じ「2002-A/B」ではあったが、よく見ると異なる筆跡であることがわかる。JU02はカバーにステレオ表記があるにもかかわらず音質はモノラルで、ほとんど聞く価値のないものになっていた。日本ではこの「ステレオ表記のあるモノラルのコピー盤」が1974年音楽専科6月号で紹介された。おそらくはちょうどそのころ日本に入荷したからであろう。同じ6月号のあるレコード・ショップの広告には新入荷として掲載されている。
さらにこの後、日本ではこのコピー盤からまた別のコピー盤が作られた。当然モノラルである上、かなり劣化した音質だった。カバーはJ02を複写し作られているが、フロントとバックがつながった同一のインサートで、折り返した状態で付属してある。こちらのレーベルには社名は無く、非常に小さな字でタイトルと曲目がプリントされている。マトリックスは「103-A/B」で日本製のブートレッグではよく見られる機械によって刻印されている。
以降、日本における「JUDY」のレビューは、ほとんどがJ02のタイプが紹介されており、社名はKustom Records、音質はモノラルと記載された。そしてそれが一般的な認識になってしまった。
こういったレビューは1980年台に入っても続いたが、日本だけではなく海外においても同様の現象が見られた。

写真左はビートルズ・カタログ(1977年)、右はFixing A Hole(1989年)どちらもKustom Rekordsでモノラルと記述されている。
こうして、「JUDY」は「ステレオ表示があるにもかかわらず正規盤からモノラル・コピーされたブートレッグ」として低評価を受けてきた。
そして1985年に発売されたビートルズ海賊盤事典(講談社)に至っては、「オリジナル盤はヨーロッパ製で会社名は無い」、また「アメリカ盤のKustom Records盤とは同デザインのイエローとブラックのカバーである」というコメントが「No Label Credit 103」というナンバーとともに記載がある。つまり最も音質の劣化があるJU03がなぜか「ヨーロッパ製のオリジナル盤」になってしまい、白黒カバーのオリジナル盤に関しては触れられていない。(おそらく入手できていなかったと考えられる)また最後に「国によってこれほど評価が真二つに分かれている海賊盤も珍しい」と結んでいるが、オリジナル盤を入手していたイギリスのコレクターと、モノラルで音質劣化が著しいコピー盤を聞かされた日本のコレクターとでは評価が違うのは当然であったのである。
正確な情報に乏しかったため評価が低かったこの不幸なブートレッグは、実はイギリスではテレビのニュースでも取り上げられたことがあるくらいの有名なブートレッグだった。1971年頃イギリスでは「ブートレッグ」が社会問題になるほどで、メディアにも多く取り上げられた。

写真左上はイギリスの新聞紙「Leicester Chronicle」紙(1971年4月16日付)である。記事の内容はレコード会社がブートレッグにより収益を失っているという事実を問題視しており、ELTON JOHNのライブ・ケースを取り上げている。これはELTON JOHNが1970年11月に行われたニューヨークのスタジオ・ライブがFMで放送され、すぐにブートレッグとして出回った。レコード会社はその対策として1971年3月にその音源を公式ライブ(「Elton John / 17-11-70」)としてアルバム発表を余儀なくされたというものである。また「JUDY」を取り上げ、そのレーベルにプリントされている偽りの曲名は「偽装」であると表現している。イギリス国内でブームとなっていたブートレッグに対する批判的な論調は前年の1970年頃から既に始まっていた。
写真左下の1970年11月28日付ビルボード紙にはジミ・ヘンドリクスのブートレッグ「Live Experience 1967-68」の販売に疑問を投げかける記事が掲載された。そして1971年4月10日付の同紙にはその続報ともいうべき記事が掲載され、「Live Experience 1967-68」の裁判の結末としてプレスを発注したZ氏と販売を認めたJ・C氏(どちらも当時の記事では実名)に罰金が課せられたことを報じている。実はこの頃イギリスでJ・C氏は「THE BOOTLEG KING」と呼ばれる時の人だった。彼はイギリスで4店舗のレコード・ショップをもつオーナーであり、それらの店舗ではブートレッグを取り扱っていたのである。
メディアは彼を追いかけていた、この社会問題とJ・C氏のことは、当時ひとつのニュース・フィルムに記録されている。それは「UK Bootleg Records」というタイトルで動画投稿サイトで見ることができる。
フィルムの冒頭ではタイトルと日付、そして保管記録のためのナンバーらしきものが表示されるが、「TX 08/04/71」とあり(TXはtransactionの略と思われる)、1971年4月8日に制作あるいは放映されたものであることが推測できる。このフィルムの中ではロンドンのレコード・ショップの状況や、そこに陳列されているブートレッグ・レコードの映像、珍しいPink Floydやオノ・ヨーコのインタビューもあるが、Led Zeppelinの「Live On Blueberry Hill」の件でひと悶着があった、元マネージャーであるピーター・グラントから事情を聞くシーンもある。リポーターは「JUDY」を紹介し明らかなパイレート・レコードであることを強調し、ピーター・グラントが押しかけて来たという彼のレコード・ショップへの取材とJ・C氏へのインタビューが映し出される。

特にリポーターが渦中のJ・C氏を追求する場面はこのビデオの最も重要な場面となっている。それはリポーターが「JUDY」に使われたマスターテープについて尋ねることから始まる。「本来マスターテープはアップルが所有しているはずだ」とリポーターが聞くと、J・C氏は「このレコードもそのマスターから作られた」と答える。リポーターは間髪いれず「では盗んだのですか?」と突っ込む、彼は「借りたんだ(Borrowed)」と苦しい言い訳をし、話をそらすように、「これらはアメリカから送られてきたもので、自分はカバーのみ製作した」と答えるのである。このやり取りを見ているとJ・C氏はリポーターの鋭い質問に、一瞬言葉が詰まり、できれば隠しておきたい別の真実を喋ってしまったように思える。彼としてみれば「自分が制作したものではない」ことを強調したかったのかもしれないのだが。
事実、「Leicester Chronicle」紙の記事掲載の写真や、ビデオの中に出てくるJ・C氏のレコード・ショップのシーンが流れるたびに一緒に写っている複数のブートレッグは「JUDY」と関係性があり、アメリカ西海岸でプレスされたものを含んでいる。
ビデオの中で確認できたブートレッグは「JUDY」のほか、同じBEATLESの「Live At Shea」、DEEP PURPLE の「H-Bomb」, そしてJimi Hendrixの「Live Experience 1967 – 68」と「Sky High!」、さらにLed Zeppelin の「Live On Blueberry Hill」も確認できる。
「JUDY」などをプレスしたアメリカ西海岸のブートレッガー「Kustom Rekords」によるものは次のタイトルが確認できている。
1. DEEP PURPLE / H-Bomb (ASC-001) matrix:2001-A/B
2. THE BEATLES / Live At Shea (ASC-002)matrix:SHEA-1/2
3. THE BEATLES / JUDY (ASC-003) matrix:2002-A/B
4. JIMI HENDRIX / Goodbye Jimi (005-A/B) matrix: LE-A/B
5. ELTON JOHN / KNOCKIN' EM DEAD ALIVE(2/006-A/B/C/D) matrix:EJ-A/B/C/D
レコード番号の頭にASCが付いているものは003までで、004は確認されていない。
1と2はアメリカでも出回り、スタンプ・カバー盤で確認されているが、2は「The Only Live Recording BEATLES-1964」というタイトルであった。そしてアメリカで販売されなかったものは3の「JUDY」。反対にイギリスに輸出されなかったものはJimi HendrixのタイトルとElton Johnのタイトル。1から3まではレコードのみ輸出されイギリスで独自に作られた直刷りデラックス・カバーに収納され販売された。
これら1から5までのアーティストにはイギリスでデビューしたアーティストであるという共通点がある(Jimi・Hnedrixはイギリスのデビューである)。さらに1から4までにはもう一つの音源に関する共通点がある。それはイギリス側とアメリカ側の双方に利益ができるような音源を選択し制作された点である。

写真上段左から、UKで制作されたLive At Shea
Kustom Rekords盤のUK仕様カバーとディスク・レーベル
The only live recording BEATLES-1964(アメリカではスタンプ・カバーで発売された)
写真下段左からDEEP PURPLE / H-Bomb UK仕様カバーとディスク・レーベル及びマトリックス
アメリカで販売されたH-Bomb のスタンプ・カバー
まず、1の「DEEP PURPLE / H-Bomb」は1970年7月10日のドイツAachenでのライブを収録してある。オリジナルはヨーロッパ製ブートレッグ「Space」で、そこから編集、コピーされたものだ。「Space」はアメリカでは手に入らなかったため、この「H-Bomb」によって初登場となったのである。
次に2の「BEATLES / Live At Shea」は誤ったタイトルとなっているが、有名な1964年8月のHollywood Bowlのコンサートである。このKustom Rekords盤はイギリスでプレスされたEP2枚組の「Live At Shea」(Freedom records)がオリジナルである。→(詳細はHollywood Bowl Phase 1を参照)
Kustom Rekords盤はアメリカで発売された初めてのHollywood Bowlライブ・ブートレッグであり、以後このレコードから多数のコピー盤を生んだ。
そして3の「JUDY」は冒頭で記述した通りアメリカで発売され、イギリスでは発売されなかった「HEY JUDE」に近い編集になっていることがセールス・ポイントだった。
4の「JIMI HENDRIX / Goodbye Jimi 」 は前述のビルボード誌の記事中で触れた1970年に既にイギリス国内で発売され物議をかもし出していた「Live Experience 1967-68」がオリジナルで、「H-Bomb」と「Live At Shea」同様アメリカでは初登場となった。
以上のことをまとめると、1、2、4はマスターとなる音源のブートレッグがイギリスもしくはヨーロッパにあり、それをアメリカ側へ供給され、アメリカ西海岸でプレスされたブートレッグである。3は逆にアメリカ発売のレコードからパイレートされイギリス向けにプレスされたレコードというわけなのである。
そしてJimi Hendrixの「Sky High!」はレーベルの形状やマトリックスから考えると、「Live Experience 1967-68」やBEATLESのEP2枚組「Live At Shea」と同じイギリスでのプレスと思われる。定かではないがこの「Sky High!」のレーベルをアメリカのKustom Rekords が模倣したと考えられる。

写真上段はJimi Hendrixの「Live Experience 1967 – 68」のフロント・カバー、ペーパー・インサート、ディスク・レーベル。
写真下段はその「Live Experience 1967 – 68」からコピーされ作られたKustom Rekords盤の Goodbye Jimi、フロント・カバーは「Live Experience 1967 – 68」のペーパー・インサートから編集・複写され作られたことがわかる。
Jimi・Hendrix「Sky High!」 →
1968年3月7日のニューヨーク、Scene Clubでのジム・モリソンらとの貴重なジャム・セッション・ライブが収録されている。カバー(薄く柔軟)、ディスク・レーベルの形状、マトリックスから考えると「Live Experience 1967 – 68」との共通点は多くイギリスでプレスされたものと考えられる。
このライブ音源を収録した最も初期のブートレッグであり、アメリカ西海岸のKustom Rekords はこのレーベルを模倣したのではないか? 少なくともアメリカで作られた「Morrison/ Hendrix / Winter – Jam(matrix: HH JAM Side1/2)」はこの「Sky High!」からコピーされている。

また、最後に5の「ELTON JOHN / KNOCKIN' EM DEAD ALIVE」だが前述の「Leicester Chronicle」紙の記事に載ったELTON JOHNのライブがまさにこれなのである。1970年11月17日にニューヨークのスタジオで演奏されたものをWABC-FMが放送したものが音源である。公式盤が1971年3月に発売されたためかイギリスで出回った形跡は無い。

写真左上段は ELTON JOHN/KNOCKIN' EM DEAD ALIVE、ディスク・レーベル及びマトリックス
下段の写真は、WABC-FMによる同音源より作られた「Very Alive」と「Radiocode」、そして公式ライブ盤
ショー全体の曲を2枚組で収録したブートレッグはこのKustom
Rekords盤のみである。
このように当時Kustom Rekords盤関連、あるいはJ・C氏が販売していたブートレッグはイギリス側とアメリカ側ブートレッガーが双方に利益が出るよう計算され取引された感がある。
これらのブートレッグ製造にJ・C氏がどの程度関与していたかは不明だが、当時の新聞記事などによると「Live Experience 1967-68」販売の件に関しては、180ポンドの裁判費用とたった10ポンドの罰金だけだった。当時の法律の適応ではこれが限界であったらしいが、メディアの論調は、ブートレッガーにとって有利な判決であり、むしろイギリス国内でブートレッグの制作と販売が助長される可能性を懸念する声が多かった。当然J・C氏の活動は有罪となっても終わらなかった。1971年6月19日付のColumbia Record紙(サウス・カロライナ)は「THE BOOTLEG KING」というタイトルで彼の記事を掲載しているが、先の有罪判決で彼の罰金はわずか24ドル(10ポンド)であったこと、さらに彼がさらに新しいブートレッグを制作していることやそのいくつかはアメリカでも販売されている事実を書いている。J・C氏は1983年にアメリカに移住、1990年代には音楽レーベルを設立し事業に成功している。彼にとっては幸福の「JUDY」であったのかもしれない。(Hollywood Bowl Phase 3につづく)