
ビートルズ・ブートレッグ 55年目の真実
STORIES 2-1
HOLLYWOOD BOWL LIVE (Phase 1)
1977年5月にビートルズ初の公式ライブアルバム「The Beatles At The
Hollywood Bowl」(EMTV4)が発売された。それは1964年と1965年のハリウッド・ボウルにおけるライブ録音によるものであったが、公演から10年以上の時を経ており、ファンにとってはあまりに遅すぎた公式ライブのリリースであった。
録音から公式リリースまでは紆余曲折あった。最終的に1964年8月23日のライブと1965年8月30日の2つのライブから数曲ずつ抜粋し、シングル・アルバムにまとめられた形となった。しかし1964年8月23日の録音に関して言えば、1960年代にすべての演奏曲を収録したアセテート盤がつくられていた。そしてこのアセテート盤からブートレッグが1970年代初頭に作られたのである。
最初に登場したのは1970年イギリスにおいてプレスされたEP2枚組であった。それは「Live At Shea」というミス・タイトルのブートレッグで、Freedom recordsなる社名がレーベルにプリントされている。


左写真上段は「Live At Shea」Freedom recordsレーベルのファースト・プレス →詳細データHOL001 下段は別カバーの「Live At Shea 1964」→詳細データHOL003 写真右はFreedom recordsによるBob DylanのSTEALIN’とBread &Circusという変名レーベルのLong Time Gone、いずれもEPレコード。
Freedom
recordsは当時Bob DylanのStealin'(オリジナルからのコピーブートレッグ)やBread &Circusという変名会社でBob
DylanのLong Time Gone, あるいはJimi HendrixのLive In L.A. April
1970というタイトルのブートレッグを制作しており、これらはいずれもEPレコードであった。
当時イギリスで発行されていたアンダーグラウンド新聞のIT( International Times )No.97(1971年)には2枚組EP「Live At Shea」のレビュー記事が掲載されている。「このレコードは7インチの2枚組である」という記述から始まるので本ウェブ・サイト紹介のHOL001~3のどれかであることは間違いなさそうだが、残念ながら音源に関する記事内容はかなり間違っている。どうもレビューを書いている記者は「シェア・スタジアム」のライブと思い込んでおり、「テレビより録音されたものだ」と書いていたり、「1966年」などと書かれているあたりは基本的にライターが認識していた情報は正確ではなかったようだ。それが1964年に公式に録音されたライブ音源などとは想像もつかなかったのかもしれない。

左写真上がイギリスで発行されていたIT(International Times)No.97(1971年)
左写真下は IT No.95(1970年)
右写真は IT No.95とNo/96に掲載された3行広告(一部モザイク加工)
こういったブートレッガーの(おそらくは)認識の誤りと、やはり正確ではなかったレビュー情報は少なからずこの後のハリウッド・ボウル・ライブ・ブートレッグへ影響を与えてしまったようだ。しばらくの間、本来「ハリウッド・ボウル」ライブが「シェア・スタジアム」のライブとなったままリリースが続いたのである。
このレビュー記事が掲載される数か月前の、1970年12月のIT No.95(31, Dec 70 - 14, Jan 71)に初めて「Live At Shea 」を販売する広告が掲載されていることを発見した(ちなみにIT、No.95以前にはこのような広告は確認できなかった)。それはいわゆる三行広告と呼ばれる小さな広告であり、その次のNo.96においてもJimi HendrixのBootlegとともに掲載されているが、タイトルと金額しか書いていないそっけないものだった。
ただ、これら広告の時期より、Freedom Records盤が1970年中の12月の初旬か、もしくは11月に製作した可能性が高いと言える。
このFreedom Records盤は少なくとも複数回プレスを行ったようである。
詳細データでも紹介したHOL001~003ではレーベルやカバーの仕様が異なるだけではなく、1枚目のSide 1におけるマトリックスは2種類見つかっている。
実際HOL001とHOL002及び003のSide1の音質は異なり、HOL001のほうが良く、ピッチも正常に近い。
次に登場するブートレッグはアメリカ西海岸でプレスされたLPだったが、タイトルはやはり「Live At Shea」だった。実はこのマスターとなったものが、イギリスからアメリカ西海岸のブートレッガーへ供与されたFreedom Records盤だった。
Freedom Records盤からコピーされた音をもとに、プレスされ、レーベルにはKustom Rekordsとプリントされたイエロー地のレーベルが貼られた。レコード盤は主にイギリスへ輸出され、イギリス国内で製作されたジャケットに収められて販売された。
一方、アメリカではホワイトジャケットに「THE ONLY LIVE RECORDINGS BEATLES-1964」というタイトルがスタンプされたカバーで出回った。
このレコードを含めKustom Rekordsがプレスした、「JUDY」「H-Bomb」などいくつかのブートレッグはイギリスへと輸出され、同じようにイギリスで製作された別のジャケットに収められ販売されたのである。
30分弱のライブコンサートを4面に振り分けたEP2枚組の「Live At Shea 」は明らかにライブ盤には不向きだった。そのためか、アメリカでプレスされたKustom Rekords盤は、A面とB面それぞれにつなぎ目が1箇所ずつ存在していることと、コピーであるが故、音質劣化があるという欠点があったものの、当時のブートレッグとしては群を抜いて優れた音質だったため、後に多くのコピー盤ブートレッグが作られることとなった。(Phase2へ続く...)