
ビートルズ・ブートレッグ55年目の真実
デッカ・テープス 総論
(Outline of "Decca Tapes")
セクション1 イントロダクション
(Section 1 Introduction)
1962年1月1日、ロンドン郊外のウェスト・ハムステッド(West Hampstead)にあるデッカ(Decca)、レコーディング・スタジオにおいてビートルズのオーディションは行われた。誰もが知っている通りこのオーディションは不合格に終わったのだが、この時演奏された15曲の録音テープはデッカにて保管された。
その後長期にわたり、当時の録音が陽の目を見ることは無かったが1970年代中頃よりこの時の演奏を良好な音質で収録したブートレッグが出回り始めたのであった。
1980年代に入ると、正規盤という形でも多くの種類のデッカ・オーディション・テープを収録したレコードがリリースされるようになったが、それでもブートレッグでの「デッカ・テープス」の人気が衰えることは無かった。なぜなら正規盤よりもクオリティーの高いブートレッグが存在していたからである。コピー盤を含め乱発されてきたことが物語るように、「デッカ・テープス」というマテリアルはブートレッガーにとって確実に金になる存在だったのかもしれない、そしてその背景にはブートレッガー同士のせめぎ合いもあった。
総論では「デッカ・オーディション・テープ」をもとに制作されたブートレッグに関しおおまかなその流れとバックグラウンドをたどっていきたい。
セクション2 デッカ・オーディション・テープのブートレッグ化
(Section 2 Bootleg of Decca Tapes)
デッカ・オーディション・テープが最初にブートレッグに収録されたのは1972年の「L.S. Bumble Bee」であった。このとき「Love Of The Loved」のみが貧弱な音質の上に不完全な状態で収録された
当時の雑誌でのブートレッグ・レビューなどを見ると、この曲がデッカ・オーディションテープであったことは当時から知られた事実であったことが分るが、大きな話題になることはなかった。それは音質の悪さや、一曲だけの収録であったからかもしれない。

その後1975(6?)年にMelvinがリリースした「The Greatest Unreleased」にはそれよりも良い音質で収録されたのだが、いかんせんこのブートレッグは極めて少ないプレスで存在そのものが知られておらず、明らかになったのも後になってからだった。
←写真上段左:L.S. Bumble Bee (CBM)
右:The Greatest Unreleased (Melvin)
写真下段左:How Do You Do It?(WRMB)
右:Love Of The Loved (PR100/101) (すべて、未エントリー)
「The Greatest Unreleased」と同じ時期にシングル盤ブートレッグ「Love Of The Loved」が作られ、ここにはほぼ完全な状態で、若干の音質の向上を伴い収録された。Wizardoによる「How Do You Do It?(WRMB 381)」というブートレッグに収録された「Love Of The Loved」はこのシングル盤からコピーされている。
一気に脚光を浴びたのは1977年のピクチャー・スリーブに入ったシングル盤、
いわゆるDeccagoneのシリーズが出回ったときである。それは非常にカラフルなスリーブ、そしてさまざまな色でプレスされたカラーレコードであり、そこに収録されていたものはブートレッグとは思えないほどの優れた音質の未発表テイクだった。 しかしDeccagoneのシングル・シリーズは当初、メジャーな流通ルートで販売されたわけではなく、アメリカのあるファンクラブによって販売されていた。このシングル・シリーズが日本のレコード・ショップにも入荷するようになったのは1978年に入ってからである。
さらに1980年には15曲のオーデション・テープを1枚のLPにまとめたピクチャーレコードが2種類出回った。1つはマイアミ・バージョンと呼ばれる特に社名など記載のないカラー写真のピクチャーレコード、もうひとつはハンブルグ時代の白黒写真が使用したCircuit盤と呼ばれるものだ。
オリジナルはCircuit盤でありマイアミ・バージョンはCircuit盤からのコピーであったのだが、圧倒的に市場ではマイアミ・バージョンが多く出回っていた。そのためピクチャーレコードのCircuit盤はポピュラーではなかったが、優れたデザインのカバーに入れられたレギュラー・ブラック盤は広く市場に出回り、Circuitによる「デッカ・テープス」は正規盤並みの人気を誇る不動の1枚となった。以降このカバーデザインは「デッカ・テープス」を象徴するアイコンとなり、再プレス盤や数多くのコピー盤が続々とリリースされていった。

←写真左:Decca Tapes(Pic Disc, Circuit)
右 : Decca Tapes (Pic Disc, No Label Credit, Miami version)
セクション3 音源の流出経路
(Section 3 Outflow Route of "Decca Audition Tape")
さてこれらのブートレッグはどのように作られたのであろうか?セクション1で触れたとおり、最初に録音されたテープはデッカに保管されたのだが、オーディション後マネージャーのブライアン・エプスタインはデッカに依頼しコピーを作ってもらったという。このコピーは2つのリール・テープよりなり、15曲すべて収録されていたという。(このうち一つのリール・テープは2019年のサザビー・オークションに出品されている。)
この時点で、デッカが保管しているテープとブライアン・エプスタインのものと2つ存在していることになるが、ある話ではビートルズはブライアンのテープより8曲コピーしそのコピーをスチュアート・サトクリフの恋人に贈ったという。それがちょうど1962年4月10日にスチュアート・サトクリフが脳出血で亡くなる頃に重なるらしい。その後そのテープは別の友人の手へと渡ったと言われている。さらに、その後の話ではブライアン・エプスタイン亡き後、ブライアンの助手はブライアンが所有していた2つのリール・テープをコレクターに売却したとされている。
ではデッカに保管されていた元のマスターテープはどうなったのか? 話によると1976年終わりか1977年初めに、あるイギリスのジャーナリストがオーディション・テープのレビューを書くため借りることをデッカに依頼し、あっさりとデッカは同意しそのジャーナリストに渡したというのだ。
そしてそのジャーナリストは返却前にそのテープからコピーを作成し、そのコピーはアメリカのビートルズ・ファンクラブ、Strawberry Fields Foreverの創設者であるJoe Pope氏へと売却されたとされている。そして1977年からリリースされ始めたJoe Pope氏によるDeccagoneのシングル盤シリーズはこのテープがマスターとなっていると考えられている。
また一方でCircuit盤「The Decca Tapes」のマスターとなったのは、その音質、臨場感などからJoe Pope氏のものとは異なる。となると、ブライアン・エプスタインの助手が売却したものとも考えられるが、確たる証拠はない。(この件については後のセクションで 再度触れたい)
以後山ほどリリースされたデッカ・テープスのほとんどはJoe Pope氏が制作したものか、Circuit盤の音を利用したものである。ただそれらとは別に、数曲のみアセテート盤が制作されたようである。「Like A Dreamers Do」と「Love Of The Loved」に関してはアセテートが存在するようだが、確実に証明できているわけではない。
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